「はやく起きた朝は…」を見ていたら、
松居直美が、40才の頃の石原裕次郎や渡哲也を見て、今の若い子達から、
40才の自分はどう見えているのかを考えた、という話をしていた。
それに対して磯野貴理は、小さい子から「おばちゃん」と言われた時、
ムキになって訂正させた話をしていたが、
私も最近、松井直美と同じ事を考える。
自分の頭の中では、何も変わっていない「私」という「若者」は、
周りから見ると、とっくに「おばさん」なんだろうけど、
自分でそれを認めたくないし、そう呼ばれたくもない。
年を重ねている事でバカにされたり、差別を受けたくないという事だ。
でも、人は見た目だと思う。
向かいから歩いて来る老人の、ショボイ姿にウンザリする。
そして駅前のスーパーの鏡に映る自分をチラ見し、「まだ若い」と確認する。
あの人のお気に入りが、私よりはるかに若い事に絶望しながらも、
「Rには無いものが、私にはある」と信じている。
昔、友人のお母さんの事を話している時に、
友人に「おばさんが…。」と言ったら、その呼び方が気に入らなかったのか、
「面白いね。(呼び方)」みたいな、皮肉めいた事を言われた事があった。
それなら、母親と同世代の人を何と呼べばいいのか。
いちいち「○○のお母さんが…。」と言えば良かったのか。
私としては、年寄りという意味で使ったのではなく、
「おばさま」というニュアンスだったのだが。
私自身、友人の子供から「おばさん」と言われても、怒るつもりはない。
その子供と同年代でも、職場の同僚なら嫌かもしれないが、
母親が友人だった場合、その子供から「お姉さん」と言われるのも変だろう。
フィギュアの村主さんが、最近コスチュームをピンクにしているのは、
若く可愛く見せようという戦略だと思う。
大人っぽく見られたい浅田真央が、黒を着るようになったのとは対照的で面白い。
みんな、どう見られるかを気にしているのだ。
「自分がおばさんだと思えるようになったら、言い合いましょう。」
磯野貴理はそう言ったが、
年令より感性だと思う私は、永遠に言えそうもない。
口にした瞬間、本当のおばさんに変わってしまいそうだから。