「筋肉少女帯」を聴きたいと言う人がいたので、今度CDを貸す事にした。
ついでに久々に聴いてみた。
あの頃を思い出す。
筋少は、面白いだけだろうと思われがちだが、実は、けっこうクォリティーが高いバンドなのだ。
大槻さんの詩は一見おかしいが、心理学や文学作品をパロっているものが多くて、
ハッとさせられる事がある。
最近、「大槻さんの歌は聴いた事がないが、エッセイは読んだ。」
と書かれたブログが目についたので、
マーブルが、20代後半の頃の話を書こうと思う。
ラジオから流れてきた「日本の米」と言う歌が、筋少との出会いだった。
変な歌、何だかいやらしいバンド名。
しかしその後、「元祖高木ブー伝説」で、あえて高木ブーに注目した大槻ケンヂが気になった。
あるバラエティ番組で、前髪をたらしていた大槻さんが、
「学校の先生に、『おまえは腐った魚のような目をしている』と言われた事がある。」と話したら、
丹波哲郎氏に、「見せてみろ! …綺麗な目してるじゃないかぁ!」と大声で言われ、
テレていた大槻さんが好きになった。
「笑っていいとも」では、「俺の事なんか誰も知らないでしょ?」と言いながら、謙虚に登場した。
歌を聴いてみたくなったので、一番おどろおどろしいジャケットのCDを借りてきたら、
激しくウケてしまい、アルバムを全部、買いそろえた。
皮肉やブラックユーモアが好きなマーブルは、大槻さんの、
おもしろ悲しい「破滅の美学」にハマってしまったのだった。
早朝から、上野の本屋に並んで、サインをもらった事もある。
当時、大槻さんより年上のファンは少なかった。
「もうすぐ30才になるんですけど、これからも応援しますから。」頑張るつもりで言ったのに、
「筋少のメンバーも年とってきてるので、そのうち速い曲なくなりますから。」と、
逆に慰められてしまった。(笑)
階段に並んで、順番を待つファンを見上げていた大槻さんの目は、とても澄んでいた。
あんなにゆっくりしたサイン会は、他にないだろう。
大槻さんは1冊1冊、とても丁寧にサインしてくれたので、ちゃんと会話もできた。
大槻さんの顔は土気色で、握手した手は汗ばんでいた。
その時、マーブルは、FCに入ろうと決めた。
当時、大槻さんがパーソナリティーをつとめていたオールナイト・ニッポンは、
カセットに録音して聴いていた。
深夜のせいか、くだらぬコーナーも、テンションが高くて笑えた。
大槻さんが、ずっと憧れていたインドに旅行した時の話は、とても面白かった。
大槻さんは、小さい一言がすごくおかしい。
部屋を出て行く女友達に、「あんたは、本人より作品の方が出来がいいんだから。」
と辛らつな言葉を吐かれた、とか。(笑)
又、年功序列を気にするらしく、年上のマネージャーが辞めた時、
「チョコレート買ってきて!」と命令した事を、後から気にしていた。(笑)
マーブルも何度か出した事があったが、もらったファンレターは大事にしていたらしい。
ずっと後になって、雑誌のインタビューで、忙しかった時の大槻さんが、
精神科で薬をもらうほど、情緒不安定だった事を知った。
私が最後に買ったアルバムは「エリーゼのために」。
初期の作品もとんがっていていいが、このアルパムは、とても洗練されていて、
大槻さんも、若い人を諭すような大人になっている。
当時、筋少のライブは、ゴスロリの少女達でいっぱいで恐かった。(笑)
普通の格好で、1人紛れ込むマーブルは、かえって目立ってしまっている気がした。
野音のライブで、やはり1人で来ていた同年代の女性が隣に座った。
嬉しくて思わず住所を聞き、しばらく文通した。
彼女は少し年上で、虚弱体質で就職もできないと言う。
ライブで踊る彼女は、病気とは思えないほど元気に見えた。
文通が途切れて数年後。年末に喪中のハガキが届いた。
気になって電話してみたら、亡くなっていたのは、彼女自身だった。33才という若さだった。
しばらく聴いていなかった「エリーゼのために」の中の「悲しくて御免なさい」を聴いて泣いた。
他のアーチストよりも、筋少のFCに入っていた2年間は、とても思い出深い。
マーブルは、「キノコパワー」と「サンフランシスコ」が好きだ。
この2曲は、今のバンドで、又一緒にやっている三柴さんが作曲している。
三柴さんは、クラッシックをやっていた人だから、メロディーラインやアレンジが、とても綺麗だ。
大槻さんのエッセイや小説もいいけれど、若い人には、「筋肉少女帯」をぜひ聴いてほしい。
特に「戦え!何を!?人生を!」を聴くと、すごく元気が出る!!
蓮音に聴かせたかったよ、「キノコパワー」。今なら、ゴスロリしてもいいかな。(爆笑)