他人に、何かしてあげる事って、
フカセが言うように、
「笑顔を見れる権利・自分の為」なんだと思う。
でも、大半の人が、
「やってあげてるのに感謝しない。」と怒ったり、
あげてるものが、迷惑になっていないか、考えもしない。
もう、だいぶたつけど、
オバタさんが、ヨシキをみつけたじゃん。
あの子のキツそうな顔を見た時、
「誘拐じゃないな。2~3日なら、まだ生きてる。」って思った。
たとえ、何百人動員しても、
「死んでる」と思って探すのと、
「生きてる」と思って探すんじゃ、全然違う。
(ネットでも書かれてるが。)
デカい亀がいなくなった時も、
習性を調べて行った人が、すぐにみつけたしね。
正直言って、オバタさんは、
お手柄感(笑顔を見れる権利)を味わいたいから、
直接引き渡したかったんだと思う。
それが、ボランティアの醍醐味だろうから、いいんだけど。
でも、周りが騒ぐと、本人も信条を語るようになるし、
ストイックな事が、安っぽい美談になってしまう。
年金生活=貧乏、じゃないからね。
ボランティアって、経済的にも、精神的にも、
余裕のある人じゃないとできないと思う。
それに何よりも、体力がないとね。
オバタさんを称賛するなら、
スーパーボランティアだからじゃなく、
「本気で探した」という点だろう。
だから、ヨシキの家族が、
「風呂に入って。」と言った時、
入ってあげてほしかった。
彼らにも、「ねぎらう権利」を与えてほしかった。
(注・オバタさんを下と見たわけではない。)
その方が、あの家族の気持ちが、治まるから。
特におじいちゃんは、孫を死なせてたら、
一生、その罪にさいなまれる。
オバタさんが救ったのは、
ヨシキじゃなくて、おじいちゃんなんだよ。