差別されるのは、障害者だけではない。
ブス、デブ、バカ、年寄り、貧乏、異種。
つまり、見た目の、印象の問題だ。
私が知ってるケースでは、ダミ声で嫌われてる人もいた。
私も昔、パーツをバカにされた。
いくら差別してないって言っても、
脳は、心は、「美しい」と「醜い」を判別し、振り分けている。
形のイビツなものを、気味が悪いと思う。
差別というより、「見たくない。」という本能なのだ。
そして、それは、好みの問題でもある。
ただ、才能のある障害者は、
凡庸な健常者を抜き、頭角を現す。
ダウン書家の、金澤翔子さん、
スペクトラム作家の、東田直樹くん。
何と言っても、衝撃的な表紙で、
バリアフリーの先駆けとなったのは、
ハンサムで高学歴の、乙武氏だろう。
顔がいいから、モテはやされる。
これだって、逆差別だ。
東田くんは、
「(自分に)友達がいないのを、可哀想だと思うのは、
健常者の勘違いだ。」と、言い放った。
人嫌いな私には、頼もしい言葉だった。
エスカレーターで例のごとく、真ん中に立っていたら、
私の横を、青年が、「お疲れさまでしたっ!!」と叫んで、
ダンダンダンと、勢いよく降りて行った。
スペクトラムだ。
私は最近、「バリバラ」をよく見ており、
東田くんの本も読んでいるので、
多少、病気の知識があった。
東田くんが言うには、「壊れたロボットの中にいるみたい。」
私は、その一言で、全て納得していた。
バスの中で、ずっとブツブツ言い続けている彼の隣で、
婦人が、戸惑うように咳払いしていた。
私も以前なら、気味が悪いと思っていただろう。
でも今は、面白いと見守る事ができる。
それより、「お疲れさまでしたっ!!」と言われ、
見透かされた気さえした。
相手を理解する上で、
知識って、すごく大切だと思った。
「バリバラ」のレギュラー、脳性まひのユキノリさんは、
障害者に対するコメントが、さりげなく厳しい。
おそらく彼には、仕事をして、
社会貢献しているという自負があり、
障害に甘えるな、という気持ちがあるのではないだろうか。
施設を利用できないなどというのは、もちろん論外であるが、
年寄りにしても、「何でも有り」の、図々しい人もいるんだよ。
私は、不満を言うより先に、
健常者に寄せていく努力をしている者を応援したい。
最初から、周りをあてにしない方が、
楽に生きられると思うのだ。
「差別されてやるから、慰謝料よこせ。」ぐらいな気持ちで、
不自由を補う為に必要なものを、国から分捕ればよい。
重度の障害者は、生まれた時から絶望が始まっている。
どんなに綺麗事を言っても、前途多難である。
本人も介護者も、そうとうキツい。
コミュニケーションに工夫し、良い関係を築くしかないだろう。
介護者の、メンタルメンテも不可欠だ。
「仕事が無いから、とりあえず介護。」なんて心構えじゃ、
とうてい無理である。
防衛大並みの、「心」の研修が必要だ。
「差別」とは、普通で中途半端な奴が、
他人と同じでいる事に、必死になっているだけだ。
世間に迎合しているのだ。
せいぜい、心の中だけにしろ。
失礼な態度はとらずに、
その醜さに、とっとと慣れろ。
しかし、男女間など、その特性を生かし、
思いやりのある区別なら、あってもいいと思う。
差別による優遇もありうる。
あんたもイビツ
よく見ると、「耳」って、かなり気持ち悪い。
一番、器官がむき出しになっている気がする。
人によって、形もだいぶ違う。
鼻の穴だって、すごくマヌケだ。
あんたも、気味の悪いイビツなものを、
頭の横から、はやかしてんだぜ!