いつも思うのだが、やるって決まった事とか人に、
なぜ皆、協力しないのかね。
私は元々、
「東京でオリンピックなんて、やらなくていい。」と思っていたから、
決まった時は、ドッチラケだった。
エンブレムが、変更になった時は、
葬式みたいな柄だなと思った。
でも、「コロナだから中止にしろ。」って、
そういう風潮だから、他の人と同じ事を言ったり、
辞退したりしたんじゃないの?
オファーを受けて、やり切った人は、偉いと思うよ。
開会式だけ、録画してみた。
人の影が、双葉になった時、
シンプルで、いい感じに始まったと思ったけど、
コントとタップは意味不明で、
子供を使うのは、あざとい気がした。
コンテンポラリーダンスは、
菅原小春かと思ったら、森山未来だった。
パフォーマンスじたいは良いが、
「慰霊」というより、
「死」そのものを表現しているようで、暗過ぎた。
飛んでいるうちに、
森山の顔に、布がかぶさってしまったので、はがしたかった。
ピクトグラムは、面白かったが、
途中で失敗したのが、かえってご愛嬌。
後日、飲食店で、「酒無し」のお知らせを、
うなだれたピクトグラムで、描いていた店を見かけたよ。
松井が、老人のシャツの後ろを、つまみ上げているから、
「誰だろう。元オリンピック選手かな。」と思っていたら、
長嶋さんだったので驚いた。
右腕が壊死して、歩きかねているのが痛々しかったが、
向こう側にいるのは、
「あれ、王選手だ。」と言ったら、
身内に、「選手じゃないだろ。」と、ツっこまれた。
私らの時代は、ナボナとムアツ布団の王選手なんだよっ。
でも、この2人は、スポーツ選手の代表みたいなもんだから、
東京でオリンピックやったら、聖火ランナーやるよね~。
マンガの吹き出しのプラカードが、
英語のアナウンスの後に、クルッとひっくり返されて、
あからさまに、カタカナ表記になるのが面白かった。
誰の為のオリンピックって言われたけど、
誰の為でもない。
世界には、色々な国があって、色々な人達がいる。
多種多様なんて、言わなくても分かる。
戦争してる国から来てる人達、
普段は参加しない、できない国から来てる人達もいる。
全員集合するから、オリンピックは特別なんだ。
せっかく来たのに、コロナ陽性になっちゃった人。
脱走して捕まって、ションボリ帰って行った人。
フライングで走れなかった人。
亡命した人。
何しに来たのか、分からない人達もいた。
私は、以前から、伊藤美誠に注目していたが、
彼女にしては、珍しく緊張してミスしていたところ、
水谷が、落ち着いて挽回したのには感動した。
メチャ強い人が、ガンガン勝つより、
負けるだろうと思っていたのに、あきらめないで勝つってすごい!!
水谷、さすが年の功。
いざ開催されたら、良かったので、
記念に、公式グッズのノートとピンズを買っちゃった。
唯一、この東京オリンピックでダメだったのは、
話が長いバッハ会長と、金メダルを噛んだ河村市長だろう。
ケニアと呼ばれても
今から考えると、ひどい話なんだが、
高校の時のクラスメートで、スレンダーな美人がいたのだが、
地黒で、あだ名が「ケニア」だった。
私達は、「ケニちゃん」と呼んでいたが、
彼女は、嫌な顔一つしなかった。
もっとひどいのは、目がギョロっとしていて、
明るくて、面白い性格の女子が、別なクラスにいて、
あだ名が「ペリア」だった。
ホラー映画の「サスペリア」のように、
ちょっと不気味な顔だったからのようだ。
しかし、彼女も又、平気で受け入れていた。
彼女をよく知る人が、
「ペリアって、すごく性格いい子なんだよ。」と言っていた。
周りは、頭の良い人ばかりで、差別もイジメもなかった。
だから、あだ名なんて、どうでもよかったのかもしれない。
多種多様なんて、元々当たり前なのに、
いちいち叫ばなきゃならない現在が、異常なんだよ。
全く興味なかったパラリンピックの、開・閉会式の方が、
ショーのような演出で良かった。
「サーカス」という表現をしている人もいたが、
身内は、「見せ物小屋」みたいで嫌だと言った。
どっちにしろ、
「ありのままで、よくできている。」という事だろう。
四肢欠損の人が泳ぐ姿は、クリオネのようだった。
車椅子レースで、解説者が、障害の特徴の他に、
その「強味」を語っていたのが妙だったが、面白かった。
そうか、私達は、
見ようとしなかっただけだったんだな。
パラリンピックは、東京でやる意味があったよ。