近所の犬が死んだ。
見た目は地味で、おとなしかったが、
その一生は、生まれてから死ぬまで、裕福だった。
日中は外にいて、夜は家の中。
お散歩は、1日に4~5回。
リタイアしたお父さんが、
朝と無く夜と無く、連れ出していた。
雨の日は、ノロノロ運転でドライブ。
助手席でKは、目を輝かせていた。
だから、しょっちゅう見かける。(笑)
こちらも、長年見ているから、親しみもわく。
若い頃は、タッタカ歩いていたが、
晩年は、電柱にオシッコもせず、寄りかかっていた。
ヒョコタン歩くKと、お父さんは、
最期まで変わらず、散歩していた。
ある日偶然、身内が、Kの「お別れの時」に出くわした。
家の前に、焼却装置がついているワゴン車が停まり、
毛布にくるまれたKが、乗せられたのだと言う。
いつのまにか、見かけなくなったら、
死んだのだろうと思うだけだった。
しかし、それを見た身内が、意外な事を言い出した。
Kの犬小屋に、花をたむけては?
しかし、犬小屋など元々無い。
家の前に、勝手に花を置いたりしたら、
交通事故現場みたいになってしまう。
Kに花を捧げるなら、写真を添えて訪問しよう。
私は、ちょっとこじゃれた花屋に行き、
事情とイメージを伝え、
白を基調に、青を少し加えた花束を作ってもらった。
先方に、よけいな気遣いをさせないよう、
あくまで犬用と、小ぶりなものにした。
親しくもないお宅を訪ね、
恐る恐る出てきたお母さんに、事情を話すと、
上品に老いたその人は、涙を見せて、
「Kの骨を見せてあげて。」と、お父さんに促した。
ペットの訪問火葬に、依頼したそうだが、
自宅前の電線が気になり、
近くの公園で、やってもらったらしい。
綺麗な水色の布に包まれた骨壷は、
やや小さめだが、人間のものと変わりない。
思わず、「可愛い。」と言ってしまった。
Kは、11月1日に生まれ、
ブリーダーのもとから、この家に来て、
今年で15才だったという。
出自も良く、大変可愛がられたブルジョア犬だったのだ。
その横で、チョコンと正座するお父さんは、
いつものように無表情だったが、
しょんぼりなのが、伝わってきた。
数日後、早朝に、お父さんとすれ違った。
今まで、だんまりだった人が、自分から挨拶してきた。
「お一人で、お散歩ですか?」
淋しくもあるが、私は、少し嬉しくなった。
Kの死を共有して、初めて見る事ができた笑顔だった。
今年は、私の周りでも、色々な「終わり」や「変化」が多い。
天皇が代わるからだろうか。
時代が変わる時、運命が動く気がする。
始まれば、終わりは来る。
しかし、「死」とは、次の「始まり」でもある。