アクセスを気にして、いつのまにかドラマや映画の感想ばかり書いていた。
気づくと、本来書きたかったブログではなくなっていた。
漠然とした日常にこそ、コメントをつけてほしいのだが、やはり難しいのだろうか。
自己満足はあざとい?
仕事を真面目にやり過ぎる私は、一部の人間にあざといと思われていたらしく、
去年、傷つく事を言われた。
他人の過剰な表現やくり返しを、うっとうしいと感じる事は私にもある。
でもそれが、本人の個性や気遣いであった場合、
私なら相手を傷つけてまで、いちいち指摘したりしない。
自分の考えだけが正しいと思って、気分でものを言う人は苦手だ。
まして仕事を積極的にやって、そんな風に思われるなんてバカバカしい。
だから私は決めたのだ、その時から。
あざとくうっとうしいコミュニケーションは、もう一切しないと。
私は急に周りの人間が恐くなり、距離をおきたくなった。
それと同時に、全ての人間関係に冷めていった。
全てに飽きている事に気づく
生活費を入れない同居人に、嫌気がさす。
毎週会う子とは、特に話す事もない。
頼るべき相手ではないあの人に、ひとりよがりなメールを送る気力もない。
親しいので話はするが、若い子の要領の良さや早口が、うるさく感じられる。
夢中になった有名人にも、いつのまにか興味がなくなった。
恋するものが移っていくにしても、最近の飽きっぽさは、はなはだしい。
食べ物さえ「おいしい」と思えるものがない。
「着たい」と思う服もない。
気に入って買った物も、手に入ると「こんなものか」と感じてしまう。
でも今、「飽きた」と口に出してしまったら、私は全てを失ってしまうだろう。
それを口にするほどの資格も価値も、私にはないのだ。
理想とよりそえば 息がつまる
気がつくと、私はある時期から、普遍的で良質なものを、選ばなくなっていた。
それが物であれば、経済的に無理という事もあるが、
全てにおいて「理想は手に入らない」という、「あきらめ」があったのだと思う。
だからいつからか、理想を追うのはやめていた。
でも私は、出会ってしまった。
緊張を強いられても、好ましいその人に。
上辺だけの人間関係の中で、その人だけが頼りに思えた。
その人は私に似ていた。
だから「理解し合えるんじゃないか」と感じてしまった。
その時「理想」が呼び覚まされ、私は初めて人生をやり直したくなった。
わかっている。
その人をあまり知らないから、そんな風に思っているだけだ。
私はいずれ、あなたにも飽きるのだろうか。