ある意味、本当の反戦映画だった。
戦争では、「死」こそ悲惨だと思われるが、
描かれているのは、「after」を生きる地獄である。
後味の悪さは、極めつけ。
私が、この作品を観ようと思ったのは、
宮藤官九郎のコラムに、
「(寺島が)ショックで、『いやぁ~!』と言いながら、田んぼを駆けずり回り、
その後、冷静に泥を落とすシーンがあるのに笑えた。」と、書いてあったからだ。
ところが実際、私は、そのシーンには笑えず、
後ろの美しい雪山だけが気になり、むしろ悲しくなった。
それより、ただの塊になって、戦場から戻った夫に絶望し、
手をかけようとするも、その塊に反応があった瞬間、
キャタピラー(芋虫)と化した夫と自分が、夫婦であった事を思い出し、
慌てて、し尿ビンを用意するのが面白かった。
「軍神の妻」として、夫を支えていく決心をしながらも、
その要求とワガママに対する、イライラと絶望の狭間で、
不安定になる妻の心の動きを、寺島は、本当によく演じていたと思う。
キャタピラーを、リヤカーに乗せて連れ回し、
軍神の妻として賛美される事で、自分はウップンを晴らす。
本人が嫌がって、連れ出せない日には、
自分が、勲章を付けて出かけるのにも笑えた。
食べる 寝る 食べる 寝る
「こんな者の為に、私の人生は」と思うか、
「こんな者でも、私がいなければ」と思うか。
「ゲゲゲの女房」が、理想的な夫婦の形であるならば、
「キャタピラーの女房」は、真実の夫婦の姿かもしれない。
ともあれ、寺島は最後まで、夫を見捨てたりはしないのだ。
私は全編、ほとんど泣きながら観ていた。
感動したからではない。
突きつけられる真実が、悲しかったからだ。
観客は、ほとんど年配女性だった。
斜め後ろに座っていた老女が、劇中で行進曲が歌われるたびに、
小声で、一緒に歌っていた。(笑)
そして、ラストシーンでは、「あっ!」と声を上げていた。
(よほど、ショックだったのだろう。笑)
そうだよなぁ。
戦争が終わってしまったら、
「軍神」じゃなくて、本当に、ただのキャタピラーだもんね。
世にも恐ろしい唄
エンディングは、元ちとせが歌う、「死んだ女の子」。
こんなに恐ろしい唄は、聴いた事がない。
あの世からのメッセージだ。
このような唄が、CD化されても、
はたして、改めて聴こうと思う人がいるのか?(笑)
繰り返されるストレートな言葉に、
「(戦争は)もう、しません。もう、しません。」と、
頭を抱えて、謝りたくなってしまうほど、恐ろしい。
鑑賞中は、すすり泣く声がしていたのに、
灯りが点くと、リアルタイムを生きた?おばさま方は、
意外にも、ケロッとしていた。
おそらく、場内で一番泣いていたのは、私だったと思う。
知らないから、恐ろしいのだ。
知らないから、悲しいのだ。
こんな目に合いたくないと。
甘くない小豆しか、食べる物がない生活など嫌だと。
別な意味で、オトタケさんが観るにはキツイ。
重い、暗い、ちょっとエロい。
でも、しばらくたつと、観て良かったと思う、
忘れられない映画だ。