ELLの足跡

人は最後は一人だという・・・でも、・・・今は妻が傍にいてくれる・・・

日航機墜落から30年 新たなスタート切ろうとされる元力士・・・

2015-08-13 | 雑記
30年前の日航機墜落事故・・・

未だにテレビニュースの映像が焼き付いています・・・


事故や災害に合われたご家族や当事者の方々のご心痛を思うと言葉が出ません・・・

30年が経ち一人の男性の方の新たなスタートに向かおうとされている姿を紹介した記事を転載してみようと思います。

多少長い記事ですが、是非とも読んで頂きたく、ここに紹介させて頂きました。


~以下、8月13日スポーツ報知より抜粋~

1985年8月12日午後6時56分―日航機墜落から30年

失った恋人想い独身貫いてきた元力士
角田博且さん 50
角田博且さん
520人が亡くなった
1985年の日航ジャン
ボ機墜落事故は、12日で
発生から30年となった。
事故で交際中の女性(当
20歳)を亡くした大相撲の元幕下力士・琴旭基(ことあさき)の角田博且(ひろかつ)さん(50)=写真=は、恋人のことが忘れられず、今まで独身を貫いてきた。だが節目の今夏、新たな人生のスタートを切ることを決意。「彼女に報告したい」と病のため、ずっと足が遠のいていた墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に向かった。(江畑 康二郎)
一生懸命生きるよ

着いたら電話するね

 「やっとたどり着いた。もう少しだ」。登山口に立った角田さんは、御巣鷹の山を見上げ、不自由な右足を引きずるように、一歩、踏み出した。

 佐渡ヶ武部屋に入門して3年目の角田さんが、大阪後援会会長の一人娘のMさんと出会ったのは、1984年の3月場所前。一目ぼれだった。4月、Mさんの誕生日に彼女から電話がかかってきた。二十歳の二人は、すぐに意気投合した。角田さんの「初恋」だった。

新たな人生歩む 御巣鷹の尾根で報告


「昇魂之碑」に手を合わせる角田さん

最高位 東幕下5枚目
 ♦角田 博且(かくたひろかつ)1964年12月4日、東京都杉並区生まれ50歳。堀越高校中退。82年2月、佐渡ヶ嶽部屋に入門。しこ名は琴旭基。最高位は東幕下5枚目。98年5月場所で引退。同年10月、大阪市でちゃんこ料理店を開店。2003年10月、脳出血に倒れ1年間入院。11年3月に閉店。現在、都内で暮らす。
君の分まで

◀◀御巣鷹の尾根に上った角田さんは、墜落地点にある「昇魂之碑」に手を合わせた【上】84年4月、東京・新宿御苑でMさんと初めてデートした(角田さん提供)
 携帯電話のない時代。兄弟子に悟られぬよう、部屋の電話で、こっそり、毎日のように話した。彼女の励ましが、いつも土俵で背中を押してくれた。

 だが突然、恋は終わった。85年8月12日昼過ぎ、角田さんは海外から帰国したMさんと都内で食事した。「じゃあね」「着いたら電話するね」と、帰阪する彼女と別れた。午後7時ごろ、部屋で彼女の土産のセカンドバッグを手にしていた角田さんの耳に、テレビから墜落事故の一報が飛び込んできた。同僚力士に「Mさんの家族が乗っている」と知らされた。直後、画面に映った彼女の名前。目を疑った。彼女の実家に何度も電話しても通じない。眠れなかった。

墓のある関西で生活

 翌13日、救出される女性の様子が報道された。「彼女であってくれ」。稽古に身が入らず、無事だけを祈った。事故から2日後、彼女の写真を持って現場に駆け付けたが、発見できず。24日に20代女性の遺体が見つかり、確認へ。遺体とともにあった濃紺の洋服とベルトのバックルは、最後に見た彼女が身に着けていたものだった。「本当に死んでしまった…」

 彼女の部屋にはスクラップブックが残されていた。事故直前の85年7月場所まで、角田さんの相撲の勝敗が掲載された新聞の切り抜きが張ってあった。添えられた初々しく、温かい言葉に涙があふれた。悲嘆の日々。土俵で負け越しが続いた。結局、夢の関取にはなれなかった。

 98年の力士引退後、大阪でちゃんこ店を開店。神戸にMさんのお墓があり、関西から離れたくなかった。胸に残る「20歳の恋」。どうしても、他の女性と交際することはできなかった。

   脳出血……支えた女性

 2003年、脳出血に襲われた角田さんは、右手足と言語機能に障害が残った。それまで毎年、恒例だった慰霊登山は出来なくなったが、一つの出会いがあった。12年に墜落事故について思いをつづった本を自費出版した際、献身的に手伝ってくれた女性(61)がいた。今も、女性は体が不自由な角田さんの身の回りの世話をしてくれる。「彼女がいない生活は想像できない」。角田さんは、2人で新たな人生を始めることを決意した。年内に婚姻届けを出すつもりだ。

 あの日から30年。角田さんは今月、御巣鷹の尾根に向かった。急坂で力が入らない右足をかばうように左足で踏ん張り、手すりを伝いながら必死に登った。約2時間半かけ、墓標に到着。花を添え、手を合わせた。そして、ずっと心の中で生きているMさんに誓った。「ようやく新たなスタートが切れそうだ。君の分まで一生懸命生きるよ」――。

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