水曜夜に「キム流ダンス批評講座」の2回目に行ってきた。今回のキムさんのダンスは何と受講者に背を向けて視線を動かしたり腕を組んだりポケットに突っ込んだりするだけ!いつ動きだすのかしらとずっと待っていたけどそのまんま(笑)。これもダンス!?
その意図はたくさん動くと動きの描写に終わってしまうので個々人の批評を引き出すためにものすごく考え抜いたものだったそうだ。どうりで教材っぽい。小学校の国語の教科書に出ているような。あまりに目的が透けてみえてダンスとして面白とは・・・。まあダンスじゃなくて批評のワークショップだもんね。
しかしそのもくろみは成功で2回目ということもありめいめいの発表は前回よりずっと面白かった。そして発表の後いろいろつっこみが入り、みんなの意見がとびかった。「電車を待つ人のようだ。それなら普通の人が電車を待っていてもパフォーマンスになりえるのか!?」と発表した人は、「コンテンポラリーが好きでいろいろみていてキムさんのパフォーマンスは好きだけど、大家なら片手を上げただけで賞賛されちゃうような風潮が嫌いでそれなら舞台にただりんごを置くだけでもいのか」という意見を開陳。思わずみんな「そうそう」とうなずいた。
コンテンポラリー界の人の集まりではないからだんだんみんな勝手なことを言い出した。パーカッションをたたく人は「このダンス無意味なところがいい」とか、歌舞伎ファンの人は「歌舞伎ならこれは絶対美しいというカタチがあるけれど2、3年前フェスティバルで大○一○さんのパフォーマンスを見たけど動きがきたないとしか思わなかった」とか。
キムさんはそれに対し「型があって見せ方が確立しているダンスの場合経験が絶対必要だけれどコンテンポラリーの場合は必ずしもそうではない。」そして自身の「玄人、素人」の違いについて述べられた。「玄人は自分でこうゆう風に表現したいということを自分のカラダで実行でき、それは例えば永遠に伸びていくいくものを腕をこうやって伸ばして表現したり、とみせてくださった。また持続性があり、やったことを再現できること」等。海外の場合バレエの基礎がしっかりある人がコンテンポラリーに入るケースも多いからそういうことはあまり考えなくてもいいのかもしれないけれど「新しくておもしろいもの」を追求していくと必ずしも経験が重要ではなく、そうすると素人との差別化は何かが問題になるのだろう。「キミもボクもコンテンポラリーダンス」みたいな最近の傾向、コンテストで「新人発掘」願望がはばをきかせてその結果継続力に欠け、安易過ぎる気がするそうだ。もっともこれは主催者側の問題だと思うということだった。
40過ぎまで一線にいる人ならでは重みが感じられた。でもキムさんは最近創作はしていないそうで(だからカンパニーも改名している)それは「結局何をやってもみんな同じ」という結論に達しちゃったからだそうだ。キムさんが自分で考え抜いたことを自分で冷めた目で見ている感じがする。今後それでもクリエーターとしてその壁を破っていくのか、それとも一般人や若い世代向けのワークショップでチューターとしてコンテンポラリーダンスの啓蒙を活動の中心にされるのかは今のところわからない感じがする。バレエや日舞なら基本に回帰するという方法もあるし、実際歌舞伎など40からだからそういうスタンスはまだ早いような気もするけどキムさんのような人は必要なエネルギーレベルが並とは違うのだろうからちょっとわからない。
終了後同じビルのカフェでキムさんを囲んで一杯飲んできた。ダンサーを目指してキムさんのいろいろな講座を受けている若い人やパーカッショニストやライターそれにキムさんのおっかけというグループと私のように趣味でダンスを習ったりダンス鑑賞が趣味というグループに分かれた。カンボジア舞踊を教えている方がいたので「趣味のダンスの目的って何でしょうね?素人のダンスをお見せするのはなんのためでしょうね?」と質問したら「そうね、本当にひとそれぞれね」というお答え。そしたら別の方が「ダンスというのは根源的には神様と通じ合うためのもので、踊って気持ちいい、楽しいというもので、それを見せるかどうかは全く別のレベルの話し。家族に見せるか、どこでみせるか、お金をとってみせるのか、金額はいくらか本当にいろいろあるから一概には言えない」ということだった(余談だけどこの方友人と外見は違うけど話し方も迫力もそっくりだった。笑)。
今回の講座でのダンスでは音楽は一切なかった。私はコンテンポラリーはぜんぜんわからないのでどうしようかと思ったけどキムさんと直接話す機会なんて普通ありえないので思い切って聞いてみた「音楽、例えば太鼓にのせられて踊っちゃうことはないんですか?」。そしたら答えは「ない。音楽にあわせないように独立してダンスを踊る」というものだった。先週お話を聞いたマース・カニングハムのようだ。「観る側の私達にとってはおもしろいと思うけど、踊る側にとって楽しいのかな?」と思った。感想にしてもダンスにしてもおもしろいと思うことって人により千差万別なんだ。
また「人の意見を否定しない」というお約束があったけど、それって重要。まず話しを聞いてみないといろんな話しがでてこない。
その意図はたくさん動くと動きの描写に終わってしまうので個々人の批評を引き出すためにものすごく考え抜いたものだったそうだ。どうりで教材っぽい。小学校の国語の教科書に出ているような。あまりに目的が透けてみえてダンスとして面白とは・・・。まあダンスじゃなくて批評のワークショップだもんね。
しかしそのもくろみは成功で2回目ということもありめいめいの発表は前回よりずっと面白かった。そして発表の後いろいろつっこみが入り、みんなの意見がとびかった。「電車を待つ人のようだ。それなら普通の人が電車を待っていてもパフォーマンスになりえるのか!?」と発表した人は、「コンテンポラリーが好きでいろいろみていてキムさんのパフォーマンスは好きだけど、大家なら片手を上げただけで賞賛されちゃうような風潮が嫌いでそれなら舞台にただりんごを置くだけでもいのか」という意見を開陳。思わずみんな「そうそう」とうなずいた。
コンテンポラリー界の人の集まりではないからだんだんみんな勝手なことを言い出した。パーカッションをたたく人は「このダンス無意味なところがいい」とか、歌舞伎ファンの人は「歌舞伎ならこれは絶対美しいというカタチがあるけれど2、3年前フェスティバルで大○一○さんのパフォーマンスを見たけど動きがきたないとしか思わなかった」とか。
キムさんはそれに対し「型があって見せ方が確立しているダンスの場合経験が絶対必要だけれどコンテンポラリーの場合は必ずしもそうではない。」そして自身の「玄人、素人」の違いについて述べられた。「玄人は自分でこうゆう風に表現したいということを自分のカラダで実行でき、それは例えば永遠に伸びていくいくものを腕をこうやって伸ばして表現したり、とみせてくださった。また持続性があり、やったことを再現できること」等。海外の場合バレエの基礎がしっかりある人がコンテンポラリーに入るケースも多いからそういうことはあまり考えなくてもいいのかもしれないけれど「新しくておもしろいもの」を追求していくと必ずしも経験が重要ではなく、そうすると素人との差別化は何かが問題になるのだろう。「キミもボクもコンテンポラリーダンス」みたいな最近の傾向、コンテストで「新人発掘」願望がはばをきかせてその結果継続力に欠け、安易過ぎる気がするそうだ。もっともこれは主催者側の問題だと思うということだった。
40過ぎまで一線にいる人ならでは重みが感じられた。でもキムさんは最近創作はしていないそうで(だからカンパニーも改名している)それは「結局何をやってもみんな同じ」という結論に達しちゃったからだそうだ。キムさんが自分で考え抜いたことを自分で冷めた目で見ている感じがする。今後それでもクリエーターとしてその壁を破っていくのか、それとも一般人や若い世代向けのワークショップでチューターとしてコンテンポラリーダンスの啓蒙を活動の中心にされるのかは今のところわからない感じがする。バレエや日舞なら基本に回帰するという方法もあるし、実際歌舞伎など40からだからそういうスタンスはまだ早いような気もするけどキムさんのような人は必要なエネルギーレベルが並とは違うのだろうからちょっとわからない。
終了後同じビルのカフェでキムさんを囲んで一杯飲んできた。ダンサーを目指してキムさんのいろいろな講座を受けている若い人やパーカッショニストやライターそれにキムさんのおっかけというグループと私のように趣味でダンスを習ったりダンス鑑賞が趣味というグループに分かれた。カンボジア舞踊を教えている方がいたので「趣味のダンスの目的って何でしょうね?素人のダンスをお見せするのはなんのためでしょうね?」と質問したら「そうね、本当にひとそれぞれね」というお答え。そしたら別の方が「ダンスというのは根源的には神様と通じ合うためのもので、踊って気持ちいい、楽しいというもので、それを見せるかどうかは全く別のレベルの話し。家族に見せるか、どこでみせるか、お金をとってみせるのか、金額はいくらか本当にいろいろあるから一概には言えない」ということだった(余談だけどこの方友人と外見は違うけど話し方も迫力もそっくりだった。笑)。
今回の講座でのダンスでは音楽は一切なかった。私はコンテンポラリーはぜんぜんわからないのでどうしようかと思ったけどキムさんと直接話す機会なんて普通ありえないので思い切って聞いてみた「音楽、例えば太鼓にのせられて踊っちゃうことはないんですか?」。そしたら答えは「ない。音楽にあわせないように独立してダンスを踊る」というものだった。先週お話を聞いたマース・カニングハムのようだ。「観る側の私達にとってはおもしろいと思うけど、踊る側にとって楽しいのかな?」と思った。感想にしてもダンスにしてもおもしろいと思うことって人により千差万別なんだ。
また「人の意見を否定しない」というお約束があったけど、それって重要。まず話しを聞いてみないといろんな話しがでてこない。