ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

奇想天外の能『一角仙人』(その24)

2007-08-10 15:52:41 | 能楽
それでも稽古を重ねる中で、「この型をしている時に地謡のこの文句が聞こえていれば、謡に合わせてよいタイミングでシテが幕に入れる」というような事はわかってきます。文句に型を合わせて舞うのは不可能なところでも、タイミングとしていま自分が舞っている型が速いのか遅いのかがわかるようになればしめたもので、地謡が謡う速度にかかわらず、ほぼうまく幕に入れるようになってきました。

ところで、本来『一角仙人』のシテは幕に逃げ込むのではないのです。地謡の文句に「次第に弱り。倒れ伏せば」とあるように、本来の型は一畳台の前で安座してしまうのですが、これは ぬえ、実見した事がありません。やはりシテが舞台に安座していると、そのあとの龍神の型に邪魔になりますし。。シテが安座した場合は、龍神二人がキリを舞って、能が終わるとシテは立ち上がり、龍神のあとに引き続いて幕に引くのです。この型にも『紅葉狩』と共通のものが感じられますね。やはり『一角仙人』は『紅葉狩』の影響の下に作られた能なのでしょう。

シテが幕に逃げ込むのは最近の工夫だと思いますが、そのときは龍神のうち一人だけがシテを追ってそのまま幕に入り、「龍竜王悦び雲を穿ち」からは舞台に残ったもう一人の龍神だけがキリを舞うことになります。ところが、ぬえの師匠が以前なさった工夫で、龍神の一人は幕際までシテを追いかけてそこで止まり、そのあとのキリの型は、龍神二人が舞台と橋掛りに別れて舞う、という演出で上演された事がありました。今回の「狩野川薪能」では、この型を踏襲してみる事にしました。なんせ今回の龍神は同じ伊豆の国市の小学生二人、しかも同級生ですからね。最後は龍神が居残る演出を採るのならば、二人に平等に花を持たせてあげてしかるべきでしょう。そのために特訓もしましたが、まあ、彼らもよくついてきてくれたし、当日もうまくやってくれる事を期待もしていますし、ましてや心配はあまりしていません。

なお、龍神は最後にトメ拍子を踏むのではなくツメ足をします。トメ拍子を踏むこともあるようですが、やはり龍神はシテではなくツレや子方なので、ツメ足にした方がよいでしょう。そして幕の中に一足先に入ったシテは。。じつは龍神たちが舞台のフィナーレを飾るところは、幕の中からのぞき見することはできないのです。シテは同じく曲の終わりでは幕の中で立ったままツメ足をしているのです。幕の中に走り込んだシテは、やれやれと装束を脱げるわけではなく、そのまま能が終わるまで幕の中で立ちつくしていて、トメのツメ足をする事で能に終止符を打ちます。お客さまには見えないのですが、出番が終わったからといってシテはそのあとを休んでいるわけではないのですね。

半年間を掛けて稽古した子どもたちがちゃんと舞台を勤め果せるかどうか、後ろを振り返って見守りたい気持ちは当然あるのですが、それは許されないことです。だからこそ彼らへの稽古は厳しく課しているのです。

そうこう言ううちに「狩野川薪能」もあと1週間に迫ってきました。これからは伊豆での稽古も子ども創作能の仕上げに掛からなければいけないし、それから東京では『一角仙人』の申合を行って、そして当日を迎えます。がんばってね、子どもたち。


次回からは「第三回 ぬえの会」で上演する『井筒』について少し考えて見たく思います。『一角仙人』についても、作品の背景など、触れておきたい話題もいくつかあるので、『井筒』のお話の合間に折々お話ししてみたいと思っています。

奇想天外の能『一角仙人』(その23)

2007-08-08 02:28:27 | 能楽
地謡「山風荒く吹き落ちて。山風荒く吹き落ちて。空かき曇り。岩屋も俄かにゆるぐと見えしが、磐石四方に破れ砕けて。諸龍の姿は。現れたり

地謡になりシテは正面に直し立ち上がり、「空かき曇り」と斜に少し出ながら空を見上げて右左と面を使い見廻し、「岩屋も俄かにゆるぐと見えしが」と作物の方へ向いて近づき、気をかけて作物を見込みます。磐石四方に破れ砕けて」と後見が岩屋を真ん中から左右に二つに割り、それと同時に龍神二人はスクッと立ち上がっり、シテは驚いて三つほど飛び下がり、脇座へ行って下居して葉団扇を捨て、剣に手を掛けます。

『一角仙人』はせいぜい40分~45分の短い能だけれど、ずっと岩屋の作物の後ろに下居して待機していた龍神がここで「スクッと」立ち上がるのは結構大変な事ではあります。ここまでで足がしびれてしまっている、という事はないと思うけれど、「立ちくらみ」なんて起こらないのかしらん。。(←よけいなお世話) そして登場した龍神の出演時間はせいぜい数分間。。その間に舞働を舞い、シテと斬組をし、さらに最後は龍神だけがキリを舞うのだから大変です。今回の「狩野川薪能」ではこの龍神役を子方が勤めるのですが、先輩からは「この龍神は子方にとっては大変じゃない?」と心配のお言葉がありました。観世流でこの龍神役を大人が勤める事が多いのも、案外身体がきつい役だからかもしれません。

<舞働>は龍神二人でシテを威圧するように舞います。二度ほど龍神が剣を振り立ててシテに向かってくるときにシテは剣の柄に右手を掛けることによってそれに対抗します。

シテ「その時仙人驚き騒ぎ。
地謡「その時仙人驚き騒ぎ。利剣をおつ取り立ち向へば龍王は黄金の甲冑を帯し。玉具の剣の刃先を揃へ。一時が程は戦ひけるが。仙人神通の力も尽きて。次第に弱り。倒れ伏せば龍竜王悦び雲を穿ち。神鳴稲妻天地に満ちて。大雨を降らし。洪水を出だして。立つ白波に飛び移り。立つ白波に。飛び移つて。また龍宮にぞ帰りける。

最後のクライマックス。<舞働>が終わるとき龍神二人は一畳台の上に飛び乗って剣を振り上げてシテを見込み、シテは立ち上がり「そのとき仙人」と謡いながら剣を引き抜いて構え、これよりシテと龍神の斬組が始まります。ここがまた。。斬組の型は型附にも細かく厳密には決められておらず「工夫あるべし」、という事なんですよねえ。基本的にはシテは龍神二人と交互に斬組むワケですが、型附には 斬組の途中でシテは一畳台の上に上がって正面に向いて下居、左足を台より下ろす、とか、そこに龍神の一人が剣で斬りかかってくるところを、その肘を受け止める、とか、能としては珍しい型が記載されていて、これは『一角仙人』の斬組ではほとんどのおシテが採用しておられるでしょう。もっとも「一畳台の上に下居して左足を下ろすと装束の裾が割れる」と、この型を省く方もおられるようです。

お客さまにとっては面白いこの斬組、演者にとってはじつは とってもやりにくいのです。まずは斬組を舞うためには地謡が謡う文句があまりに短いこと。「その時仙人驚き騒ぎ」から「次第に弱り。倒れ伏せば」までの ぜいぜい数行です。地謡が謡う文句に合うように型の進度を加減しながら舞うのはほぼ不可能でしょう。そのうえ斬組の型をたくさん工夫し過ぎると、「次第に弱り。倒れ伏せば」までにシテが幕に走り込む、あるいは舞台の上で「やられた」と安座することができず、そのあとの「龍竜王悦び」からの龍神だけの舞のスタートが遅れてしまい、龍神の舞までもが窮屈になったり遅れてしまうのです。これでは龍神二人がキリの型を合わせて舞うのに迷惑になってしまうのですよねえ。。

奇想天外の能『一角仙人』(その22)

2007-08-05 23:47:57 | 能楽
地謡「かかりければ岩屋の内頻りに鳴動して。天地も響くばかりなり

この地謡の中でシテは枕扇をしていた葉団扇を下ろし、伏せていた面を直します。何事かが起きた事に気がついた、という感じでしょう。前述のように「被キ」を掛けていたときはここで「被キ」をハネ捨て、後見がこれを取り入れます。

シテ「あら不思議や思はずも。人の情の杯に。酔ひ臥したりしその隙に。龍神を封じ篭め置きし。岩屋の俄かに鳴動するは。何の故にてあるやらん

「龍神を封じ篭め置きし」のあたりでシテは岩屋の作物に向き直ります。すると岩屋の内から声が響き。。

龍神二人「いかにやいかに一角仙人。人間に交はり心を迷はし。無明の酒に酔ひ臥して。神力を失ふ天罰の。報ひの程を思ひ知れ

大小鼓が地を打ち、「天罰の」のあたりで太鼓がそれに加わり、すぐに打込を打って地謡に渡すところです。このところ、開演当初からずっと作物の後ろに隠れて登場していた龍神二人が声を揃えて謡い出すのですが、これがまた大きな問題を抱えていまして。。

今回の「狩野川薪能」のように子方二人が龍神役を勤めるときには、今言ったように岩屋の作物の後ろに隠れている事ができるのですが、大人がツレとして龍神を勤めることもあって、ところが岩屋の中に大人二人が隠れる事はとても不可能なのです。この場合は龍神役のツレのうち一人だけが岩屋に入って最初から舞台に出ていて、もう一人は楽屋の中で待機しているのです。そしてこの場面になると、楽屋に居残っていたツレの龍神は幕にピッタリとついて、岩屋の中のツレと声を合わせて謡う事になります。しかしこれが。。

どうしても装束、とくに鬘や頭を被っていると音は聞き取りにくくなるし、ましてや橋掛りの奥の幕の中と、大小前にある岩屋の中で謡うツレ同士お互いの声はほとんど聞き取れないのが実情です。だからこのやり方ですと、どうしても龍神二人の謡はバラバラになってしまうのですよねえ。。これがピッタリと合った龍神の謡は ぬえは聞いたことがありません。

その点、子方二人が岩屋の中にいる場合は、お互いは至近距離にいますし、囃子方もすぐ後方にいるわけだから、これは謡を合わせるのには願ってもない条件なのです。今回の薪能では伊豆の地元の小学生二人を龍神役に起用しているわけですが、この二人の謡の、絶妙に息のあったところは、ちょっと聴き物です。

観世流では『一角仙人』の龍神の役はツレ、つまり大人が演じるのが本来で、これを子方にする場合もある、子方にしても良い、という立場なのですが、どうやら聞けば他流ではこの龍神役は必ず子方が勤めることになっているようですね。すると観世流の場合だけが龍神の謡がバラバラになる危険性を常に持っているのかあ。。

『一角仙人』のほかにも『鶴亀』や『嵐山』など、ツレの役を大人が演じるか、または子方にするか、両様になっている曲はいくつかあります。子方を二人揃えるのが無理な事もありますし、難しい舞を舞わせるのに稽古が追いつかない場合もあるでしょう。それでも大人が演じるのか、子方が演じるのかでは舞台効果が全然違いますし、シテを演じる役者はこういうところも よくよく考えて番組づくりをしたり、曲目選定をしたりするのです。

伊豆の稽古にて

2007-08-04 23:57:00 | 能楽
昨日の夕方、師匠に『一角仙人』の稽古をつけて頂きました。ツレ旋陀夫人役のKくんも ぬえとは他門ながら稽古に参加してくれ、また龍神役の二人の子方は、お母さん同伴で伊豆からわざわざ東京に来てくれたのです。稽古は順調に進み、また師匠からは何点かのご注意を頂いたけれども失態はなく、これまでの稽古の成果は着実に積み重なってきたように思います。

ただ。。

子方二人の稽古の進度が、正直に言えば段々と差が開いてきてしまっていました。とは言っても『一角仙人』の龍神という大役を勤める、その最低限のレベルはとっくに到達していて、素人の小学生としては驚異的と言ってもよい成果は出てきているとは思います。ここで ぬえが言うのはもっと高いレベルのお話。もう ぬえは彼女たちにそこまで要求しているし、彼女たちもたった一度の舞台を目標にがんばっています。

ところが不幸にも。。二人の子方に教えていると、残酷にも器用さとか カンを素早くつかむ能力にはどうしても差が出てしまうもので。。あえて実名を出しますが、ぬえの要求に機敏に反応できる明日香と、どうしても もう一つ ぬえの意図が伝わりにくい ありさ。昨日の稽古が終わったあとも、ついに ぬえは ありさ一人に集中して手直しする形になってしまいました。

悔しかったんでしょう。。すべてが終わって、さあ、伊豆へ帰ろう、というとき、ありさは ついに泣き出してしまった。。(いや別に ぬえがイジメたんじゃないですよ? ただちょっとしつこかったかも。。反省)

その翌日となる今日は ぬえが伊豆に赴いての稽古でした。前夜 帰宅した ぬえはずっと考えていました。どうやって慰めよう? ずうっと考えて、考えて。。そして ぬえは決心しました。「いや、優しい言葉をかけるのはやめよう」。苦しい事はわかっている。でも、いま泣かなければ、彼女は2週間後に迫った薪能当日に、もっとつらい思いをして、心にキズを作るかもしれないのです。

今日、ありさは笑顔で稽古場に現れました。ぬえは(そりゃつらかったが)彼女に言い渡しました。「正直に言えば、二人のレベルには差が開いてきてしまっている。でもあなたが“出来ない”とは思わない。コツひとつの事だと思うから、今日1日で ぬえがそれを徹底的に直してみせる。今日も泣くかもしれないけれど、泣くのは今日で終わりにしてみせる。ぬえについて来てくれ」。。ありさはハッキリと「はい。」と答えました。

そして始まった稽古。。ところが。。なんと直すところがほとんどない。。昨日注意して、それでも出来なかったことが、今日は出来ている。昨夜30分もかけて山のように与えた注意を全部直して来ている。泣きじゃくって帰ってから24時間も経っていないのに。。死にものぐるいでやって来たんだろう。。ぬえは手放しで喜んで、拍手して褒め称えてあげました。

。。そしたら、ありさ。。また泣いちゃった。。

いや、ホントによくやったと思います。その真剣さ、悔しさをバネに変えた力を ぬえは絶賛します。彼女もひとつ大人になったでしょう。。でも本番の舞台はまだ先。安心しちゃいけませんよ~~

ありさのことばかりお話したから、明日香の事も書きましょう。彼女は天分として優れたカンを持っています。ぬえの要求を敏感に感じ取って、その通りに身体を動かせるのは、人にうらやましがられる才能でしょう。

でも、彼女会う度に、次第に彼女自身の中で不安が強くなってきているのを感じます。おそらく彼女が失敗や挫折を知らないままにここまで稽古が進んで来た事に自分で気づいているからでしょう。2週間後に迫った大舞台。彼女はそこで最後にとんでもない破綻が、自分に牙をむいて襲いかかってくる事を恐れているのでしょう。。でも、その一番恐ろしい敵は、不安に追いつめられた心の中に巣喰うもの。稽古や舞台を楽しんでいる、ちょっと以前の気持ちを忘れないでほしいと願います。本当はそれが一番難しいのかもしれないけれど。。でも大丈夫。ぬえはキミを信じているから。

さて、今日の稽古が終わってから、当地の夏祭りを見物に行きました。この日、ありさは「しゃぎり」という神楽囃子のような郷土芸能の太鼓を打つのです。それを知っていた ぬえは、だからこそ今日の薪能の稽古が再び悲惨な結末を迎える事を恐れていました。。良い結果が出せて、ありさは心嬉しく「しゃぎり」に出演していました。ああ、本当によかった。

さらに ぬえはこの夜行われた伊豆長岡の花火大会を見物しました。ああ。。こんなに気取っていない花火大会もあるんだ。。うじゃうじゃとした人混みもなく、広い河原の堤防にゴロンと横になって、手が届くような高さに打ち上げられる花火を見上げていると。。ああ、幸せだなあ、と思いました。この花火大会は、文句なくこれまで ぬえが見た花火大会の中で一番良かった。。心に響きました。

郷土芸能が生活の中にちゃあんと生きていて、花火大会をご覧になるのも近所の方ばかり。東京に帰るために三島まで乗った電車は花火大会の帰りで珍しく混んでいたけれど。。三島駅に着く頃にはがらんと空いていました。。幸せってなんだろう。ぬえは「伊豆に住みたいな~」と心の底から思ってしまった。

奇想天外の能『一角仙人』(その21)

2007-08-02 00:47:33 | 能楽
地謡「かかりければ岩屋の内頻りに鳴動して。天地も響くばかりなり

ツレ、ワキ、そしてワキツレがサラリと幕に引くと、地謡が吟を変えて謡い出し、あたりはただならぬ雰囲気になってきます。何かが起こりそうな予感。。

このところ、現在ではツレ一同が幕に引くとすぐに地謡が謡い出しますが、かつては間狂言が出たようです。間狂言は山の神のような者で、舞台常座に立って一角仙人が龍神を岩屋に封じ込めた経緯、帝王が旋陀夫人を遣わして仙人を堕落させようと試みたことを語り、眠り込んでいるシテに向かって、いまの旋陀夫人は仙人を堕落させて神通力を失うことが目的で、いままさに龍神たちが岩屋を破ろうとしている、と警告し、それから間狂言が退場すると、地謡が「かかりければ岩屋の内頻りに鳴動して。。」と謡い出す演出が古くは取られていました。この間狂言は『紅葉狩』のそれと酷似していますね。能『一角仙人』が『紅葉狩』に構想が似ていることは早くから指摘されているところで、この間狂言も『紅葉狩』の演出を踏襲したものかも。

しかし美女に化けた鬼神にたぶらかされて寝込んだ武人・平維茂に対して、今現れたのは鬼神で、維茂を殺害する事が目的なのだ、と夢の告げを垂れ、神剣をその枕頭に置く、という演技をする『紅葉狩』の間狂言は、単純にシテが扮装を替える時間稼ぎだけの理由ではなく戯曲上も必須の役。これに対して『一角仙人』ではこの間狂言の登場のあいだに装束を着替える役もなければ、シテが間狂言から何かをもらう、という演技も必要ありません。むしろ『一角仙人』では間狂言が出る事によって舞台の進行が滞ってしまう側面も否めず、結局、歴史上のある時期からこの間狂言の役は『一角仙人』の能から削除されてしまったようです。

また、シテが眠り込んだところで後見が「被キ(カヅキ)」をシテにかぶせる、という演出があります。「被キ」というのは地味な装束(無地熨斗目を用いる事が多い)をシテの背後から掛けて、シテが両手を上げてこれを支え、自分の身を隠すようにする事で(その時に使われる装束も「被キ」と呼ばれます)、この演出は今日でも行われているようです。(というか、観世流の現行の謡本=大成版の『一角仙人』の挿絵には、シテが「被キ」をかぶっている様子が描かれていますね)

この場合の「被キ」はシテがかぶっている布団を表しているのでしょうか。。う~~ん、シテは思わず眠り込んでしまったのだから、何かを引き被るという演出はどうでしょうか。。

あるいは、間狂言が登場した時代の型が無批判に踏襲されているのかもしれません。先ほども書いたように、『一角仙人』の間狂言はこの能の前後の舞台を分断していて、言うなれば能は一時停止した状態で間狂言の「語リ」が挿入されているのです。間狂言の中でも「アシライ間」や「居語リ」は能の演技の進行に自然に溶け込んでいるのに対して、このような「立ちシャベリ」の間狂言は、語リの内容こそ能のストーリーの解説であっても、戯曲上は能の前後を分断している事が多いのです。また「立ちシャベリ」の場合、舞台に居る登場人物(シテの中入で間狂言が登場するのが普通だから、多くはワキ)の目にも見えない、あるいは別の場所で語られている、などの設定がなされている場合さえも多くの例があります。『嵐山』の替間の「猿聟」や『賀茂』の「御田」など、能の内容を遙かに超越して別次元の間狂言が作り出された例があるのも、その間狂言が「立ちシャベリ」をする場合である事が大きな理由で、その演技の自由度が演者の想像力を大きく引き出した例でしょう。

しかし間狂言が舞台に必要とされるのは、舞台の進行に密接に結びついたアシライ間を除いて、役者が扮装を替えるための時間を埋めるという任務があることが大前提で、これがあって初めてそこにもっとも効果的であるのかを考え抜いた、卓抜した間狂言も生み出されてくるはず。能の前後を分断する「立ちシャベリ」であっても、それがその能になくてはならない役だからこそ、どのような演出や演技がなされるのかは、おそらく作曲者であろう狂言方にある程度自由に作り上げる裁量権が任されて、その結果 役者が扮装を替えるのに必要な時間を遙かに超えた長大な替間が誕生する事もあったのだろうと思います。

ところが前述のように『一角仙人』という能の戯曲は間狂言を必ずしも必要としていません。そしてこの能で間狂言が登場する箇所では、舞台にはシテ一人だけが居残っていて、しかもその肝心のシテは酩酊状態で眠っている。。これでは「居語リ」もできず、結局 間狂言の登場形態は「立ちシャベリ」しか方法がないのです。ぬえは考えるのですが、このように「立ちシャベリ」をしている間狂言の横で、ずっとシテは枕扇(葉団扇を高く上げて顔を隠す型で眠っている事を表す)をし続けているわけにもいかず、さりとて眠っているのですから動き出してどこか舞台の隅に隠れているわけにもいかず。窮余の一策として「被キ」という手法をこの場に持ち込んだのではないだろうか、と思います。それが後世になって間狂言が登場しなくなってからも、このシテの「被キ」だけが生き残ったのではなかろうか。これは れっきとした現行の型だけれども、ぬえは正直に言えば感心しないし、お客さまにも納得も得にくいと思います(そのせいなのか、ぬえはこれまた「被キ」を実見したことがありません。「被キ」を用いた上演の例が少ないのかも)。