水族館へ行くのは楽しい。
でも、楽しいだけでイイのだろうか。私は水族館が好きで、日本国内の主要なところは大方行ったことがある。また一人で海外旅行に行く時は、美術館めぐりが中心だが、博物館、動物園、水族館、植物園なども周っている。
水族館の始まりはヨーロッパなのだが、その数は決して多くはない。世界的にはアメリカと日本がずば抜けた水族館の多さを誇る。
大雑把な分け方だが、イルカ・ショーなどのエンターテイメント機能を前面に押し出しているのがアメリカ型の水族館であるのに対して、ヨーロッパの水族館が学習型というか、水棲生物を学ぶ場としての機能が重視されている。
日本はといえば、どちらかと云えばアメリカ型のエンターテイメント重視が多いのだが、元々大学の研究施設からスタートしているためか、研究と学習を決して軽んじない。
ただし、現実問題として水族館への集客は、珍しい水棲生物の展示が一番効果的なのは事実だ。最近だとクリオネやグソククマムシなどが人気を集めている。
その一方で、身近な水棲生物については、展示もされないし、なによりその生態が不明確なことも珍しくない。日本人が大好きな秋刀魚だって、その生誕から成長の過程が判明したのは最近のことだ。
福島のアクアマリンという水族館が、世界で初めて秋刀魚の生態を明らかにしたことは、知る人ぞ知る事実である。だが、まだまだ明らかになっていない魚の生態は多い。
日常的に食べられるような魚ほど、むしろ研究が疎かになっている。水族館以外でも畜産系の大学や、水産研究所などが地道に研究を進めているが、まだまだ世間の注目を集める、つまり予算を取るのが難しいのが現状だ。
表題の著者は、水産大学出身であり、日本各地の水族館での勤務経験もあるだけでなく、漁師さんから直接魚を入手したりと現場経験が豊富なようだ。そのせいか、水族館の役割についてもどちらかといえば欧州寄りの評価をしてしまう。
水族館の研究機関として、また学習機関としての活用も意義あることだと私も思うが、まず第一は魚などに関心をもってもらうことだと思うので、その点この本には少し違和感を感じた。
その一方、近代から始まる水族館の歴史的推移に関しては、私も初めて知ったことも多くためになった。これは十分に読むに値する内容だと思う。
もっとも著者の真摯な想いとは裏腹に、私はやはり水族館はエンターテイメントとしての展示が中心で良いと思っている。
私にとって水族館とは、異世界への入り口だ。青い異世界に思いを馳せ、日常から乖離して非現実を楽しむ劇場である。あのほんのりと薄暗く、それでいて蒼く輝く水槽が映し出す光景に囚われていると、日ごろのストレスなんて忘れてしまう。
そんな私の密かな夢は、自宅でクラゲを飼うことだ。実はけっこうハードルが高いのだが、仕事を引退したら是非ともトライしてみたいものです。