美味しい食事が、人生における最上の楽しみの一つであることは否定しない。
私自身、日本において最高級のお店が軒を並べる銀座という街で十数年働いているので、美味しい食事の快楽を否定する気はまったくない。
とにかく、金に糸目をつけなければ美味しい食事に困ることはない。ただし家賃相場からいって、安くて美味いはありえない街でもある。ただ、単に働くために銀座にいるので、日々の昼食には少し難儀せざるえない。
ただ、ありがたいことにデパートのお弁当売り場は充実している。また近年、安いお弁当やさんも点在しているので、大分助かっている。やはり、毎日贅沢なんざ出来ない。
そう、贅沢な食事はたまでいい。お財布の事情が、たまの贅沢しか許さないのはともかく、身体と心のためにも贅沢はたまでいいと本気でそう思っている。
当たり前のことだが、美味しい食事はカロリーが高い。また塩分などの味付けも必然的に濃くなっている。過剰だからこそ、美味しいと感じられるのが人間の味覚ってものだ。
たまの贅沢は心のリフレッシュになるし、モチベーションの維持にも役に立つ。残業続きの日が続き、スタッフに疲れがみえた時なんかは、ちょっとした贅沢な美味しい食事が、仕事のやる気を高める。これは経験的に間違いないと思う。
しかし、たまだからイイ。日常的な贅沢は、むしろ心に脂肪をまとわせ、感性を鈍くさせる。グルメ気取りの御仁には、しばしば傲慢さや増長ぶりが見受けられるのも当然だと思う。
私個人としては、安い食材を丁寧に調理して、美味しい料理を創ることに満足感を覚える。タマネギを弱火で時間をかけて丁寧にあめ色に炒めあげる作業は、単調で退屈でついつい火力を上げたくなる。
しかし、そこを我慢して弱火でじっくり、ゆったりと炒め上げる。この季節、台所に椅子を持ち込み、文庫本を読みながら、頁をめくるたびにタマネギを焦がさぬようにかき混ぜる。
そうして、かれこれ40分ちかくかけて炒めたタマネギは、香ばしい飴色の食材に変貌を遂げている。そのままコンソメで煮込んでオニオンスープにしてもいいし、カレーにつかえば芳醇な味を引き出す。ジャガイモを炒めてポタージュを造ってもイイ。
私は大枚払って銀座の高級料理店で食べるのも嫌いではないが、自分で手間隙かけて美味しい料理を造るのも好きだ。さりとて忙しい平日の夜は、疲れて帰宅するので、こんな手間のかかることは出来ない。
だから週末の暇な時に、料理に手間隙かける。やっぱり美味しい食事は人生に必要不可欠だと思う。日頃が手抜き料理だけに、つくづくそう思う。
表題の作品は、そんな人間の食に関する欲望を題材にしたブラック・ユーモアの古典的名作だと思う。とある田舎町の資産家に雇われたコックの巻き起こす騒動と、その呆れた結末には、ただ呆然とするばかり。
贅沢はたまにするからイイのであって、普段は質素でいいと思いますね。別に手抜き料理の言い訳ではありませんぞ。
私も玉葱をソテーにする時はキッチンにある「椅子兼梯子」に座りつつ本を読みながら作ります。へへへ。
こいつはエナメルコートしたキャスト・アイアンのお鍋を使うと火加減をあまり気にせず、普通のお鍋より早く飴色に出来るので購入をお勧めします。うっかり焦がしても、そのオコゲをワインを少量入れて木や窒フへらでごしごししてあげるとさらに風味が増しますよ。
私がうっかり焦がしちゃうのは、私が料理中はいつもわんこ達が足元にまとわり付いて遊んでやんなきゃならないからです。ふふふ。
玉葱のソテーは他にハンバーグやらミートローフやらトマトソースやらビーフシチューやら。。いろいろ使える西洋料理の基本。
週末に楽しみながら作れるなんてうらやましい。。専業主婦(大学生だけど)は毎日。。毎朝「今日は夕飯、何にしよう。。」って思うのよね。憂鬱。冷蔵庫を開けて、しゃがみこんで「う~ん」なんてね。
実は昔、趣味で(お嬢様の花嫁修業時代)調理師学校なんて行っちゃったので、家族に不味い飯を食わせる事は意地でも出来ないの。みんな毎晩、美味しい夕飯を期待してるしさぁ。プレッシャーだぜ。
私もプライベート・シェフを雇いたい。でも私のスタンダードは高いぜ。
ご紹介のご本、全然知りません。何だかわくわくするので探してみます。元々、日本の本ですか?それともアメリカかヨーロッパ?
いつも日本へ行く時は「デパ地下」。うれしいうれしい、お惣菜屋さん達♪
それにしても、ワンコが邪魔(遊び?)にくるとは困りますね。料理をほっぱらかして、一緒に遊んでしまいそです。
私は一人暮らしなので、自分の気分で好き勝手に自炊してますが、家族がいると大変でしょうね。でも、美味しいといって食べてくれるのも料理の楽しみだと思いますよ。
なお、この本はアメリカで出版されたものですが、実は作者は不明です。もう一冊あるようですが、どうも有名作家らしいのですが、現在も分からないそうです。