若い頃、ある女性に「日本人はダメね、欧米ではレディーファーストが常識として根付いているのよ」としたり顔で云われたことがある。
別にその女性に気持ちはなかったので、さり気なく無視したが、内心「馬鹿じゃないの」と思っていた。
たしかに欧米ではマナーとしてのレディーファーストが根付いている。ただし、中流以上の社会層に限る。それは間違いではないが、私からすると、形式は譲るが実質は譲らない男性優位社会が本質だと思う。
実際、60年代から70年代にウーマンリブ運動が欧米で起こったのは、実質は男性優位社会であることに対する女性たちの抗議の声が原動力であった。具体的にいえば、欧米では男性が財布を握り、女性は男性の許可のもとでお金を使える家庭が一般的であった。
そのせいだと思うが、日本でも欧米に倣ってウーマンリブ運動が起きたが、欧米との連携は出来なかった。当然である。日本では財布を握るのは家庭の主婦であったからだ。
ただし、私はウーマンリブ運動がまったく無意味であったとは思わない。元々男性優位社会は、肉体労働を基準としたものであり、力の強いもの=優位との定義に基づくものだ。
第四次産業、第五次産業が社会の中心を占める割合が増えれば、力の強さではなく、知力の高さが労働力の質を決めるようになるのだから、女性も男性に負けずに有意義な仕事が出来るようになる。必然、男性優位社会は崩れ、女性をも十分生かせる社会が求められる。
だが、誰しも既得権は手放したくないものだ。男性優位の味を忘れられない男性は多いし、それを当然のものと諦念して受け入れている女性も少なくなかった。
そんな旧習に囚われた社会にあって、ハンデを抱えた女性は殊更弱い立場に置かれていた。
表題の作品の主人公もそうである。麻薬の売人の父、その父に母を奪われた耳の不自由な主人公は、男性が暴力で上位に立とうとする環境で育つ。母の亡きあとは、その友人の女性に育てられ写真家として未来を目指す。
その最中に知り合った恋人を、麻薬密売人に殺されるが、警察は下層階級の市民の内輪もめとして捜査に熱心ではない。耳が不自由であるがゆえに、裁判でも軽く扱われ、証言は誤解され、結局犯人は逃げ通す。
でも泣き寝入りはしない。
耳の不自由なユダヤ人の若い女性がとった正義を求める行動は如何に。
原題は「WOMAN」、ただそれだけ。社会的立場は弱く、金も力もない、耳の不自由なヒロインの姿の凛々しい姿を是非堪能していただきたい一冊です。
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