期待してはいけないと思うが、早く目を通したい気持ちは抑えられない。
希代のダーク・ファンタジー漫画である「ベルセルク」が再び連載されるとの報が出た。要約すると、三浦建太郎の高校時代からの親友であり、漫画を共に志した森恒二が監修し、三浦のアシスタントたちが力を合わせて完成させるといったものだ。
これは既に一部、実行されていた。だから成功する可能性は高い。三浦建太郎は森に対して、この作品の行く末というか決着点を話していたらしい。これは十分あり得ると思う。
ストリートファイトをリアルに描いた傑作「ホーリーランド」は、ある意味森恒二の青春時代であるが、その問題児を居候させていたのが、他ならぬ三浦家であった。二人は将来の夢を語り合い、晩年は共同生活を送ろうとするほど親しい間柄であった。
森は三浦がいたからこそ漫画家に戻れたと言っているが、本来孤独な作業である漫画描きの苦しみを分かち合う森がいたからこそ、三浦はあの傑作を描き続けることが出来たのではないかと私は考えている。
ただ三浦のあの緻密にして豪放な絵柄は、森のそれとはかなり違う。だからいくらストーリーを事前に知っていたといっても、私は森が描いたら、それは森のベルセルクとなってしまうと考えていた。
しかし、三浦のアシスタントたちが協力すれば話は別である。事実、三浦が倒れる直前まで描いていた原稿を完成させて雑誌に掲載したものが一作だけあるが、それは十分納得のいくものであった。
いや、それでも心配ではある。だから期待してはいけないと自戒するが、それでもあの物語の最後を見届けたい。疑心はあれども、この高揚感もまた事実である。
嗚呼、早く読みたいな。
なんとも情けない話だが、私の人生はいつも紆余曲折に溢れ、計画通りにいった試しがない。
実は本来ならば、今日6月22日は病院を退院する日であった。いや、退院が延びたわけではない。それどころか入院中止であり、当然に手術も中止であった。
元々は、三か月前に予定した手術であり、そのために先週土曜日に入院するはずであった。実際、土曜日朝には大学病院に赴き、3っつほど検査をこなし、入院受付を済ませて病棟に足を運んだ。
ところが対応がおかしい。なぜかカンファレンスルームでの待機を云われ、しばし待つと主治医がやってきて手術中止と入院中止を言い渡された。
別に入院を望んでいた訳ではない。でも心臓のカテーテル手術なので、それなりの覚悟を決めてやってきたのだから、入院中止は青天の霹靂であった。
もちろん理由あっての中止である。端的にいえば、血液中の鉄分が異常に減少しており、もし手術中に出血したら大事になる可能性を危惧しての中止である。
その後、主治医から紹介状を渡され、肝臓や消化器をみてもらっているもう一つの病院で診察検査を受け、鉄分の異常値が治ってからの再手術だと云われた。
しばし私は混乱した。まな板の鯉が水槽に戻されたようなもんだ。
帰宅して冷静に考えると、血液中の鉄分減少は以前から言われていたことで、そのために昨年大腸のポリープ切除を二回もやっている。そのあたりの事情は、今回の主治医にはあまり多くは話していなかった気がする。
ポリープ切除の後は異常値も回復基調にあったので、失念していたほどだ。それを知らない(病院が違うので当然だが・・・)主治医が慌てたのも無理はない。最悪、体内の内臓において癌による出血が予想されるのだから当然だろう。
でも私からすると、それは数年前からの現象だ。だからこそ不安にもなった。まだ見つかっていない腫瘍が体内にあるのだろうか。体内出血は致し方ないけど、悪性腫瘍だったら嫌だな。
そんな不安を抱えながら紹介状をもって病院に行った。消化器科の医師は苦笑しながら話してくれた。私の服用している薬のなかには鉄分減少を引き起こすものがあること。また昨年内視鏡検査とポリープ切除を丁寧にやっているので、腫瘍の可能性は少ないことを。
なんかほっとした。
ただ、しっかりと検査しないと大学病院の先生方は納得しないだろうから、来月検査は徹底的にやりましょうと予約を入れられる。ついでに鉄分補給の薬を処方される。
わりと誤解されがちだが、大学病院は専門家の集まりで高度な医療機関であり、研究機関でもあり、そして教育機関でもある。専門性も過ぎると案外市井の一般病院の医師の方がよく分かっていたりする。
もちろん医師による技量の差は個人次第であり、以前私の主治医だったN教授の診断と治療は適切であった。N医師が高齢から引退されたことが悔やまれる。
今、分かっているのは心臓の手術は延期になっただけであり、今の状況が改善されたら再開することだけだ。必要以上に不安に踊らされても仕方ない。
それにしても、私の人生、こんなのばっかりだなァ。
これは久々の大当たり。
PANAVAC(パナバック)の「ヴェリタスブロイ」という見慣れぬ缶ビールを買ってみた。、ビールの本場ドイツの製法で造られたノンアルコールビールだそうだ。ドイツの「ビール純粋令」を守り、添加物は使わず、麦芽・ホップ・酵母・水のみを使用しているとのこと。
炭酸も強くなく、味がさっぱりとしていながら、しっかりとビールを主張しており、食事のお供に最適だと感じました。
若い頃は塩分制限、タンパク質制限などの食事療法を強いられ、50代を過ぎるとカロリー制限を強く意識するようになり、自然とビールを飲まなくなっています。
でも、暑い盛りに飲むビールの美味さを忘れるはずもなく、妥協してノンアルのビールを嗜めておりました。でも率直に言って、ノンアルや糖質制限を謳い文句にしたビールは、あまり美味しくない。
いや、毎年少しずつ改良して、現在はそこそこの飲みごたえのあるノンアル・ビールが出ているのは承知していました。実際飲んでみて、まァこれなら我慢できるなといったレベルであるのも事実。
だから、そこはかとない不満があったのですが、このヴェリタスブロイという輸入もののノンアル・ビールはまずまずの合格点です。あまりお酒を好まぬ方も満足できると思いますので、是非お試しを。
なかなか本音は話せない。
今はやっていないが、以前は銀座地区の法人会の税制セミナーの講師をやっていたことがある。講座の内容は改正税法についての解説であり、さして難しいものではない。
ただ、私はかなりやりづらく感じていた。100人ほどは入れる会場の末席に、税務署の関連部署の職員が2名、私をチェックしているからだ。表向きは、セミナーの手助けなのだが、それを真に受けるほど私はボンクラではない。
師匠であるS先生から、しっかりと聞いていたからだ。税務署には、税理士に対する実績簿のようなものがあり、そこに度が過ぎた節税を解説したりすれば、必ず要チェック対象として記録されると。
まァ昭和の頃の話だが、今だってある程度似たような形での税務署による税理士の監督はされているのは、ほぼ間違いない。
妙に思われる方もいると思うが、税理士は自主独立性の強い弁護士とは異なり、監督官庁(財務省及び国税局)の強い支配下にある。税理士法の冒頭には、税理士の中立性について記されているが、正直形式的なものだと思う。
税務署寄りだとは云わない。なるべく公正中立でありたいと考えている。多分、ほとんどの税理士がそうだと思う。意外かもしれないが、税務署を退職した所謂OB税理士は、現行の税務行政の限界を意識している方が少なくない。だからけっこう税務署に対して抗う姿勢をみせる。私の師匠のS先生がそうだった。
とはいえ、税理士の役割には、税務行政の補佐的なものが含まれているのは間違いない。無料相談会や電話での税金相談などで、税務署の職員と机を並べて仕事をすることもある。ちなみにボランティアではなく有料の請負業務である。
ただ国税庁あるいは法人会等の主催の相談会では、普段とは異なる答弁、解説をせざるを得ない。これがけっこう辛い。一例を挙げたい。
公営競馬においての当たり馬券の課税問題である。
所得税法では、これを一時所得として、その馬券収入から、その(この一文が重要)当たり馬券の購入費を引いて、更に50万円を控除した上に、二分の一に減額して課税する。そう、当たり馬券は課税対象である。
上に書いた「その」とは、当たり馬券の購入費だけを意味する。つまり外れ馬券の購入費は考慮されない。これが税法上、正しい解釈である。
当然に法人会等のセミナーでは、そのように説明している。ただ、説明しながら、いささか忸怩たる気持ちにならざるを得ない。
私は延べで数百件の確定申告書を作成しているが、当たり馬券の申告なんてやったことがない。相談はあったが、ほとんどの場合、馬券の所得が50万円以下なので、非課税の枠内であるから申告していない。
だいたいが、現金で当たり馬券を換金しているので、そもそも証拠がない。だから積極的に当たり馬券の申告をする納税者は稀であるのが実態だ。ただ、近年は注意が必要だ。なぜならインターネットを通じて馬券を購入し、当たった場合に銀行口座に入金するケースがあるからだ。
これだと銀行口座に明確に証拠が残ってします。もし大儲けした場合、意図も容易に税務署にバレてしまう。言い換えれば、ネットや銀行口座を使わず現金で馬券を買って、当たれば現金で収受した場合、税務署は捕捉できない。
ただし、大口の賞金で不動産や自動車などを買ってしまえば、その資金の出所を探られて課税される場合はあると思う。まァ私は遭遇したこと、ありませんけどね。
でも、この話は法人会セミナー等で話す訳にはいかない。絶対、後で叱られるはずだ。もちろん、セミナーで話す内容にウソはない。ウソではないが真実とも言い難い。
決してウソはついてないはずだが、本音で語れないのはけっこう苦しいです。
私には制服趣味はない。
だから制服が可愛いと云われても関心は湧かなかった。私の興味はただ一つ、ケーキが美味しいかどうかである。
そんな私でもアンナミラーズは無視できなかった。実は吉祥寺店は大学の通学路にあったので、何度か行っている。ただし、あの頃はまだ純情というか、一人でケーキを食べにアンミラへ行く勇気はなかった。
今なら平然とアマンドにパフェを一人で昼間から食べられるほどに面の顔が厚くなっているが、当時はウブだった。だから吉祥寺店には女性の連れがいないと入れなかった。そのせいで、それほど数多く通った訳ではない。
どちらかといえば、社会人になり、高輪の外車ディーラーの警備員のバイトをした帰りに寄ることが多かった。それが国内最後のアンミラ店であった高輪店である。ちなみに当時はまだアンミラは他にもあった。まさか最後に生き残る店になるとは思わなかった。
当時はそんな未来はまったく予想できなかった。それよりも、この店で一休みしてケーキを食べるのが当時の贅沢の一つであった。ただ、この店はわりと女性客、特に女子大生と女子高生が多かったので、少々目線が辛かった。でも、学生の頃よりは図太くなっていたので、なんのそのである。
私の記憶だと、ケーキよりもパンケーキが美味しかった。その当時、あまり他では見かけないパイ生地が珍しくもあり、しばしば通っていた。しかし、税理士試験に合格して、新たな就職先が見つかって銀座で働くようになった。
そのため、高輪には滅多に行かなくなり、自然とアンミラには足が遠のいた。もっとも地下鉄で一駅の五反田には仕事の都合上、よく行ったので無理すれば行けなくもなかった。
ただ私が五反田に行くのは、もっぱらお肉の為である。実は五反田は東京でも屈指の肉関係では美味しい店が立ち並ぶ街でもある。
アメリカンステーキの「リベラ」や本格的なハンバーガーで知られる「フランクリン・アベニュー」そして焼肉の「ミート矢沢」である。他にも名店がひしめく肉料理の名店街なのだ。
私のお目当ては、もっぱら肉だったので、その後にアンミラに足を運ぶ勇気はなかった。いくらデザートは別腹といっても、カロリーを考えると恐ろしくなる。
近年は糖尿を気にするお年頃になったので、ますますアンミラからは足が遠のいた。そのアンミラ最後の店舗が立ち退きに伴い閉店とは寂しいもの。
実はバブルが弾けた余波で、一番広まったのが美味しいケーキを出す洋菓子店です。パティシエと云えば、今や若い人の目指す人気職業の一つとされるほど。ケーキの種類も格段に増えて、美味しくない店、サービスの悪い店はあっという間に淘汰される時代です。
アンナミラーズは店の評価が下がったというよりも、ライバル店の増加に耐えきれなかったのが店舗を減らした原因だと考えています。井村屋がやっているようなので、ここはもうひと頑張りしてアンミラを再興して欲しいものですね。