ヌマンタの書斎

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鳥山明の訃報

2024-03-12 09:26:46 | 日記

デフォルメの天才、それが私にとっての鳥山明だった。

子供の頃から絵を描くのが大好きだった。小学生の頃は世田谷区の区展に入選したことも何度かある。才能がなかった訳ではないが、既に小学6年生の頃には限界を感じていた。自分の才能のなさを人のせいにはしたくないが、好き勝手に描いていただけ。先生はもちろん、絵描きの方に教わった経験は皆無だった。ただ見よう見真似で描いていただけだから、壁にぶつかるとどうしようもなくなってしまった。

とりわけ中学生の頃からSF小説にはまると、誇張したり意図的に拡大したりする絵を描きたいと思うようになった。ところがこれが難しい。特に縮小させるのが難しい。単にサイズを小さくすれば良い訳ではないことにはすぐに気が付いた。もっというと縮尺を測って数理的に縮尺しただけでは絵として不十分。特徴を捉えてバランスよく縮めることが私には出来なかった。

周囲に絵を描く友人もなく、また美術部等にも入っていなかった私は、一人で煩悶したが一向に画力は向上せず、次第に諦め気味となり、スケッチ画を偶に描くだけになった。そんな私に衝撃を与えたのが、高校生の頃に週刊少年ジャンプで連載が始まった「Drスランプ」だった。

何気なく描かれた表紙に驚嘆した。ゴジラもガメラも縮尺がおかしいが、しっかりと特徴を捉えて誰がみてもそれと分かる。こんな絵を見たのは初めてだった。次に戦車の絵柄を見て欲しい。アメリカの個性派戦車であるM3は他に似たものがない変わったデザインで知られている。そのM3戦車に乗っているアラレちゃんの絵は、見事にM3戦車の特徴を捉えている。

こんな絵柄、絶好調時の鴨川つばめ以来、いや、それを上回る画力であった。実は鳥山明はギャグ漫画を志向していたのだが、彼を見出し、数多の没原稿を出した編集者の嶋鳥氏は、バトル志向のほうが売れるとみて、ドラゴンボールを途中からバトル路線として大ヒットをかました。その指導に感謝しつつも、鳥山明はギャグ漫画を描きたかったそうだ。でも、それは許されなかった。

やはり週刊少年ジャンプといえば熱きバトルこそが真骨頂だ。それに友情、努力を積み重ねて勝利を目指す。鳥山明はその方針に従わざるを得なかった。実際、その路線で彼は漫画家として大成功を収めた。でも内心はギャグ漫画を描きたかったため、最後はドラゴンボールの主人公たちを嫌ってしまったそうだ。

彼の絵の上手さはゲーム業界からも注目され、スクエア社は「ドラゴンクエスト」のイラスト及びキャラクターデザインを鳥山明に委ね、これが大成功。なかでも本来は弱いくせに気持ち悪いスライムを可愛らしい人気キャラクターへと変貌させてしまった。ウィザードリィを既に遊んでいた私なんぞ、これがスライムかい!と声を上げて突っ込んだくらいだ。

その鳥山明の訃報が伝えられたのは先週のことだ。手塚治虫、三浦健太郎に次ぐ漫画界の巨星の喪失であった。これは日本ばかりでなくアメリカやフランスはもちろん中国や東南アジア各国、中東のイスラム諸国に至るまで世界中で大ニュースとなった。

彼の描く絵は、言葉を要しない芸術であった。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

コメント (2)
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