入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「冬」(18)

2024年11月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうも天気は申し分ない。ただ、気温は午前8時の段階で2度まで届かず、庭のモミジは音もなく葉を散らしている。そのうち、落ち葉焚きをやらねばならないが、「酒を煖め紅葉を炊く」かどうか別にしても、これはこの時季の楽しみの一つにしている。搔き集めたモミジから紫色の煙が冬空の中に立ち上っていくのを眺めるのはなかなか風情がある。
 今までは部屋が狭まっ苦しくなるからストーブとエアコンで寒さをしのいできたが、やはり炬燵が必要になってきた。

 それに、そろそろ散歩と、心のラジオ体操も再開しなければならないが、不思議なもので体操に関しては、あの上のような環境の中でこそ心を落ち着け、無心になれそうな気がするのに、実際はそうならなかった。陋屋の薄暗い部屋での方が落ち着いて集中できるというのは、自分でもよく説明がつかない。

 昨日の日曜日は午前と午後、別々の講演を聞きに行ってきた。午前は、伊那市の美すず青島に関する地元史を中心にした話で、講師の矢島さんの広範な知識に裏打ちされた熱意のある弁舌に、1時間半は瞬く間に過ぎた。
 入念に用意された資料も多岐にわたり、三峰川の水害とその対策への先人の苦労や知恵、また「赤穂浪士事件の生き残り」と伝えられる理鏡坊の話はあまり世間に知られておらず、興味深く聞いた。
 午後は信州大学の大窪久美子教授によるわが集落、福島区の斜面林に生息する植物や生き物を中心にした、生物多様性についての話を聞いた。
 もう少し里山に関する話、林業についての話を聞けるかと思ったが、先生の専門とは違ったようで、それでも子供のころに親しんだ裏山の記憶や、昆虫や動植物のことなどを思い出しながら聞くことができた。

 きょうはきょうとて、2時から農協で打ち合わせがあり、そのあとは高遠支所にも行く用事がある。
 こんな気持ちの良い天気には、牧場へ通うころによく目にした山室川の流域、山里の荊口に住む80を超えた老婆の日向ぼこしている姿を思い出すが、元気でいるのだろうか。
 本日はこの辺で。

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      ’24年「冬」(17)

2024年11月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 一昨日だったか、南アの仙丈にもついに雪が降り、昨日上に来るとき開田から見たらその雪は融けず根雪になったようだった。
 里にいれば、上は日ごとに遠くなっていく。しかし、いざ来てみれば、あの山径を昨日も車を走らせていたような気がして、牧場ばかりかそこに至る経路も、どうやら心身の奥深くまで沁み込んでいるのだと改めて感じたりした。

 昨日、それも昼を過ぎてから、撮影の話が突然舞い込み、やむを得ず急遽上に向かった。
 1週間ぶりの小屋で先方を待つ間、いつもの見慣れた五兵衛山を眺めていても、一向に倦むことがないから不思議と言えば不思議だ。生まれ育った里を含めて、これほどまでに慣れ親しんだ風景があっただろうか。
 
 この制作会社とは以前にも付き合いがあり、幸い、プロデューサー、監督、制作担当による下見(ロケハン)後の感触は悪くなかった。問題はいつもながら天候で、これまでは雨だったが、今度は雪の心配をしなければならなくなった。これは天に任すしかない。

 今朝は4時ごろ目が覚め、しばらく布団の中にいたが、面倒になって起きた。今、頂戴物の大根を煮ている。1本の大根を10個の輪切りにし、皮を剥き、面取りをして、ごく少量の醤油、そして酒を入れて、落とし蓋をしてじわじわと煮ている。醤油は一度に入れず、少しづつ・・・。
 (また文字が1行以上消えた。どうもこの行辺りが鬼門だ。)
 昆布は昨日から鍋の水の中に入れておいた。昔し読んだある漁業会社の出した本によれば、加熱すると昆布から良からぬ物質が出ると教えられていたからで、物質の名前は忘れたが、気合を入れる時はこの教えを守っている。
 
 昆布を鍋から取り出し、加熱して鰹節を加えて丁寧に出汁を引いた。その後、大根を入れ、落し蓋をして、もうすることはない。
 この呟きをここまでやった段階で、鍋の中の出汁と大根の味見をした。結構な味で大満足。あとは鉢に盛り、大根の上にゴマとへぎかつおを載せれば完成。
 しかし、これは立派な作品である。ガツガツ食べたり、あるいは朝からついでに1本温めて、などとやってはいけない。賞味の時間はしかるべき時を待つ。クク。Tご夫婦に感謝。
 それでも、折角だから1本温めようかな。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
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      ’24年「冬」(16)

2024年11月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 朝湯につかりながら、さてきょうは何を呟くかと独り言の種を考える。牧場に関しては、いろいろと独り言ちたいことはあるけれど、まだ少し早い。
 
 さりとて、アメリカ大統領バイデンの無能をなじるのも牛守には過ぎたことで、しかしアメリカはこの老人のせいで、良識のある民主党員はもう主役に躍り出ることができないような気がする。理念、理想よりか、目先の功利的なことしか考えない次期大統領のような人に、ジーパンと国旗大好きな国民はますます傾斜していくだろう。
 身の程、分を考えれば、とっくに引退しているべきだ。それがよろよろと歩み寄ろうとしてこけてみたり、台詞を間違えたり、あれで「世界のリーダー」とは聞いて呆れる。余程大統領執務室の暖炉のぬくもりが心地よかったのだろう。
 せめて退任前に、イスラエルに対してはすべきことがあったはずだが何もせず、あれで歴代の大統領の中で最低の地位に自ら座ってしまった、と。
 
 ユダヤ人も、すっかりネタニエフのせいで、再び世界の嫌われ者になってしまった。「サピエンス全史」や「ホモデウス」で健筆を振るったユダヤ人著者、ユウ"ァル・ノアハラリがイスラエル政府の今やっていることや、ガザの悲惨な現状をどう見ているのか是非聞いてみたいものだ。
「宗教は阿片だ」と言った人は誰だったろう。

 もうすぐ昼になる。早い。身体が今の暮らしに慣れる前だから、身はどうしても上のような動きをしたがる。いくらじっとしていろと言い聞かせても、ついちょろちょろとネズミのような真似をして、こちらもしっかり老人なのだから分をわきまえろと天の声がする。
 昨日、堀りたての大根をもらった。いい出汁をひき、これを煮ろとご婦人の足のような大根が言ってるみたいだ。もちろんのこと自信ありだ。

 昨日は、庭の草も刈ったが、頭の毛を刈った。考えてみれば、20年以上、いやもっと床屋とは縁なく、自分でやっている。ほぼ丸坊主になって、頭が殊の外涼しい。しかしそれで回転が良くなり、名案が浮かぶというわけではない。
 本日はこの辺で。

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      ’24年「冬」(15)

2024年11月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前6時、外に出てみたら今朝はそれほど寒くない。それとも、このくらいの気温が里の今なのか、7度5分。室内の温度は20度、エアコンは切ってストーブだけにしたが、風呂から出たばかりだから熱いくらいだ。

 きょうも格別な予定はない。昨日は道路に面した生垣の剪定をしたばかりだが、気が向けば、少しは放ったらかしたままの庭の雑草でも刈ろうかと考えている。ただし、これもあくまで気分次第で、急がない。
 好きなようにして、少しづつここの暮らし慣れていけばいいと思っているし、今だけに過ぎないかも知れないが、退屈を厭わない。しばらくは勝手気まま、それでも文句を言う者などいないはず。それに、何しろこっちは後期高齢者だワイ。
 安気気楽、そして清貧独居禁欲はわが生活信条ながら、持たざる者としてはこれもそうせざるを得ない面もあり(クク)、手綱を緩めたら暴走するような牛にはなれない。

 一昨日はビールと酒、それに魚や肉、野菜を買った。山から下りた日は、上で炊いた米を持ち帰ってそれを食べ、昨日になって米と味噌がないのに気付いて買った。
 不思議なもので、後回しになったそれら2種の必須食料が手に入っただけで安心できた。米と味噌だけでは何の料理も作れないことが分かっていても、それだけあれば最悪の餓死だけは避けられるということだろうか。
 今は近くの田圃の中にスーパーがあるから、必要な物はそこで手に入り食べることに心配ないが、そのうち清貧に戻って雨ニモ負ケナイ生活をしようと思っている。
 
 かんとさん、通信有難かったです。先日は、小屋に訪れた人たちと、星の狩人の写した貴重な星や星雲の映像を55インチのテレビで見ました。さすがに迫力があり、「ワー」とか「スゴイー」とか、大好評で、皆さん手を携えて「無窮の遠(おち)」へと飛んでいきました。乾いた科学知識ではなく、UFOや宇宙人に関心のある人たちのようでした。

 本日はこの辺で

 

 
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      ’24年「冬」(14)

2024年11月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 つい幾日か前までマスコミは「暑い、暑い、異常気象だ」と報じていたかと思えば、今度はやれ「寒波だ、大雪だ」と騒ぎ立てる。感情を露わに、品までつけて、得意気に聞こえるあの女性の口調も、いつもながら聴きずらい。
 夏が暑く、冬が寒いのは当たり前で、その土地に暮らす人ならまだしも、たまさか訪れた観光客に、聞く側が求めている感想を言わせてみたところでどうする。もちろん、地球温暖化の問題を忘れたわけではないが。

 里での暮らしがきょうから始まった。水道の栓をひねる時、躊躇する癖はやがてなくなるだろうし、食器を洗う際には温水が当たり前のように出てくる。何よりも有難いのは、いつでも好きな時に風呂に入ることができることで、これらのことは上ではできなかったことだ。
 今年は例外、別にして、水汲みの必要も、取水場まで行って米を研ぎ、食器を洗う必要もない。灯油の心配もガスの気遣いも不要になった。
 
 寒さに関しては、上とは6度くらいの温度差があるはずだが、きょうあたりはここも寒い。先程エアコンは切ったが、ストーブは燃えている。(また1行呟きが消えた)。
 昨夜はそのストーブの上で酒を温め、急ごしらえのおでんと酒盗を肴に、ビールも加えて程よく呑んだ。ささやかな宴である、7か月の、そして18年目の勤めを終えた自身への労いの意味でもあり、そのくらいは天が許すと言ってくれた。
 
 外は小雨が降っている。きょうは一日中こんな天気だろうが、上はどうだろうか。牛はいなくも、何かを置いてきたような気がしているのは、一昨日の、それも午後過ぎてからから急に寒くなり、翌朝は零下まで下がった気温のせいだろうか。
 あの狭い6畳の部屋で、来る日も来る日も窓越しに外の景色を眺めていた自分のことを、一夜が過ぎただけで、もう、他人のことのように思い出している。
 本日はこの辺で。


 
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