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2月如月もすでに7日、日の経つのが早い。この調子で行けば梅の花が咲き、匂い、春の訪れる日もそう遠くはなさそうだ。そう呟いて、だから次に訪れる季節を心待ちにしているわけでもない、と続けたのに、またしてもその部分がPCから消えてしまっていた。
冬ごもりの日々は単調で、昨日ときょう、きょうと明日、変わり映えのする日々ではないのだが、と言って、この暮らしに格別の不満もない。山は眠り、色彩は乏しくても、風は冷たく、行動は限られても、この季節にも味わうべき妙味はある。日溜り、風の音、古い記憶・・・。
歳を重ねてここまで来れば、自然と前からよりかも後から数える癖がつく。まだウン年と思うよりか、ウン年しかないと思うから、残る日々も年月も貴重に感ずるわけだ。陋屋の冬の日射しが入る部屋で閑居していれば、手毬をつく子供もがいなくとも、うららかな春日でなくも「終わらずともいい」と言ったあの人の気持ちが、伝わってくる。
ところで、いつでも一人の宴は、時を選ばず唐突に始まる。昼の支度を初めて、きょうも土鍋の豆腐のコトンコトンと揺れている様子を目にしていたら、熱燗が急に頭に浮かんだ。そして、焼いた喉を癒す冷えたビールまで。それでも、さすがに昼から燗酒までというのは気が引けて、とりあえず笑い飛ばして済まそうとした。が、済まなかった。
昼酒をやると、夜の独酌が湿気たピーナツのように一段味も、気分まで格落ちする。一日の労いを込めようにも、込められない。それが分かっていながら、身体が勝手に動き出すことが稀にあって、しかしその言い訳もある。きょうは治りかけた風邪に、さらに竿を差そうということにした。そうでないと、このままではいつまでも入浴すら意のままにならない。羽毛服を着て寝るという異常な状態から脱しなければ、身体は軟弱化するばかりだろう、などなどと。まあ、今夜のことは夜にでもなってから考えよう。
来週早々、また上に行くつもりでいる。ちょっと出掛けてみたい場所もできた。過ぎていく冬ごもりを惜しむように、無為なる日々、後で振り返られる記憶の種を残しておきたい。
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