入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(25)

2021年12月02日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 師走という言葉を耳にすると、どうしても気が急いてくる。格別に何かをするわけでもないのに、隅に追い詰められたような気になる。
 子供のころは、冬野菜を貯蔵するために藁屋根だけの簡単な小屋を日当たりの良い場所に作ったり、家の裏に燃料用の薪を積み上げたり、干し柿作りや、さらには1年を締めくくる大掃除があった。
 あのころは子供でもそれなりに手伝いをさせられたが、中でも大掃除はたまらなく嫌だった。床の間の雑巾がけだ、神棚のすす払いだ、窓ふきだ、障子の張替えだと、この年齢になっても、その記憶をいまだに引きずっている。確かに少し懐かしさも感じながらではあるが。(12月1日記)

 また上に来た。北門を過ぎていつもの場所で眺めた中央アルプス、就中真っ青な空と新雪を纏った空木岳が目を惹いた。この景色を目にするだけでも来た甲斐がある。
 いつものように鹿の姿を目にしないと思っていたら、貴婦人の丘で10頭以上が日溜りに群れをつくっていた。まるで打ち合わせてでもあったかのように、鹿たちは一応逃げる真似をして、後は高を括くったように高所からこっちを見下す。
 小屋の手前まで来て囲い罠を見たら、ゲートが落ちていた。逆光でよく分からなかったが、鹿の姿はない。"空打ち"かと思ったら、しばらくして鹿が2頭ばかり現れた。物音を聞いて、様子を探りに現れたのだろう。結局、捕獲頭数6頭を確認した。

 熱いコーヒーを1杯飲んで、炬燵の中でじっとしている。きょうはこの小屋で、雪に閉じ込められて長い冬を過ごした昔の人を真似てみてもいい。
 冬の間、歌にもあるようにかつては、男は「藁打ち仕事」だか「縄」をなったり、女は繕い物などと、それなりの仕事があっただろう。日々は今よりか長く感じられたに違いなく、考えたり、案じたりする時間もそれと比例しただろうか。
 
 文明はひたすら便利と快適を求め進んできた。人類にとっての善悪の判断は、その後を追いかけてきただけだと言っていいだろう。子供のころから比べたら、たった半世紀かそこらで暮らしも、考え方も大きく変わった。生活に浸入してきたテレビの影響も大きいだろう。
 生活は快適と便利になったことは認めるが、肝心の幸福の方はどうだろう。インスタントコーヒーとビールほどにも、当時との差、違いはあるのだろうか。
 
 人気のない冬の山の中、本もテレビも嫌って、たまには手に負えないことを考えてみる。多分長くは続きっこないが、師走の「ある一日」の過ごし方として、悪くはないと思うがどうだろう。
 本日はこの辺で。
 
 
コメント
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