長い一日だった。なぜそう思ったのか分からないが、とにかくそう感じた。食料の整理、準備、あるいは収納を終えて、取水場までだけでなく管理棟と小屋を行き来できるように20センチほど積もった雪掻きを終え、それでもまだ正午前だったろう。
それから弁天下から小屋までの荒れた道路の整備をしていたら、テイ沢から来た登山者1名と出会い少し話した。
3時過ぎに小屋へ戻り、後は外の景色を眺めながら時を過ごし、一番目の彼らが来たのは4時を過ぎていた。その夜は3人でお定まりの宴会、愉快に過ごした。
一夜明けて大晦日、年越しのため二人の協力も得て準備を始めたが、そもそも東京育ちと九州育ち、この地方の「年越し」という風習がよく理解されていないのに気が付く。
大晦日の年越しの料理に欠かせないのがブリか鮭の粕煮、さらに一年で最も気を入れて作った各種の料理を食べ、酒を飲み新しい年を迎える、それを「年を取る」と言うのだと話す。
午後になって、残り2組の面々がほぼ同時に着き、皆で協力して料理を作り、夜はさらに盛り上がり、夜更けまで賑やかな年取りを行うことができた。
明ければ2025年元旦、雑煮を食べて新年を寿ぎ、山を下る人もあれば、もう1泊する人もいて、その夜も3日目に及ぶ酒宴は続き、遠い国の高い山の話や、酒の話は尽きずに続いた。
ただ、最後の夜は沈静していた腹部の痛みが再発してしまい、痛み止めの薬を貰い何とかしのいだのは無念であったと言うしかない。
この3泊4日、なぜか誰も雪の森や牧場へ行こうと言い出す人はおらず、そんなことに誰も気が回らなかったような気がする。せめて、御所平峠には行っておくべきだと気付いた時には、もうその余裕はなかった。
みんなを送ったあと、辺りに戻ってきた静けさを感じながら、雪の積もったキャンプ場内を歩いてみた。雪の上にはウサギの足跡が続き、枯れ落ちたコナシの枝が目に付いた。雪の上に薄っすらと残るテント場の跡を眺めていたら、いろいろな人の顔が浮かび、消えていった。
その時、「オレを忘れるな」とばかりに権兵衛山もこっちを見ているようだった。18年間、あの山がさながら相棒のように折に触れ励まし、労わってくれた。白い薄日の中で熱い感謝の念が湧いてきた。
本日はこの辺で。