新年あけましておめでとうございます
昨年は、年末の挨拶もできないまま年を越してしまい、大変に失礼しました。本年は例年にも増して入笠牧場の先行きを案じていますが、この呟きは続けていきますのでよろしくお願いいたします。
令和7年元旦
年末も押し迫った28日、午後の3時過ぎだったと思う、大体このころに「座る」ようにしているが、この時はいつになく集中でき、時の経過を知るための線香を一度も見ないまま、気が付いたらそれが燃え尽きていた。気を良くして立ち上がったとたんに、左下腹部に鈍痛に近い違和感を覚えた。
夕方、食事の用意をしているうちに痛みはさらに増し、吐き気さえ感じるに至って少し慌て始めた。まだその時は、身体の異常の原因をつかめないまま我慢し耐え続け、はて、それからどうしたのだろう。
とにかく布団に入り、痛みに耐えるしかなかった。その夜は深い眠りに入れぬままあれこれ考えているうちに、思い出した。
過去に2回、似たような左脇腹の痛みを経験していて、その一度目は20代、まだ学生で、2度目は約30年後、信州で暮らし始めて間もないころだった。最初の時は救急車を呼んで入院したが、病院に入る前に痛みが消えて1週間後何もなく退院した。
二度目も、友人の車で運ばれ、救急病棟に着くかつかぬかで痛みが去って、この時は入院を免れた。そして今度、忘れもしない独特の痛み、腎臓結石である。
翌日29日の日曜日、耐えきれずに朝の10時ごろか、自分で車を運転して市立中央病院まで行った。寒い日で、その間ずっと考えていたことは、もし入院でもさせられたら困ったことになるという一事だった。入笠で越年のため、3組6名の予約者がいたからで、最悪の場合でも入院だけは避け、痛みを散らせてもらい上に行くつもりでいた。
ところが驚いた。ようやくたどり着いた救急病棟には20名ぐらいがすでに居て、なんと待ち時間は2時間と掲示されているではないか。受付の女性は、それなりの対応をしてくれたが、諦めて帰ってくるしかなかった。
そんなことがありながらも、痛みが薄れ、30日には上に行き、越年して昨日2日に里へ帰ってきた。正月が終わったら病院に行き、焼くでも切るでも何でもしてもらうつもりでいる。遠くの、高い所が呼んでいるからだ。
上での様子は明日にでも。赤羽さん話すことがたくさんあります。
本日はこの辺で。