入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

牧を閉じる日まであと3日、星野道夫を偲ぶ

2013年11月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 天気:晴れ、気温:5度C(昼)



 星野道夫のことは、時々考える。すると、何度か行って実際に見たアラスカの大地と、彼の撮ったアラスカの風景や文章が記憶の中で混乱する。
 
 彼は、雨の多い南東アラスカのシトカを「当時北米西海岸でもっとも早く開けた港町で、”太平洋のパリ”と称えられていた」と紹介している。そして「栄華は消え失せたが、氷河を抱いた山々、深い森、そして無数の島々に囲まれ、絶えず雨に煙る夢のように美しい町」と書く(「森と氷河と鯨」より)。
 
 この辺りを船で通過したことがある。彼が描写する通りだが、残念ながら「夢のように美しい」とは思わなかった。いつも厚い雲が頭上を圧し、海面と雲の狭いわずかな空間にかろうじて森の一部が見えていて、夏だというのに氷河の舌が迫り、鬱陶しい雨が降り続いていた。「こんな土地には、例え1年でも暮らせそうにはない」と感じたものだ。

 彼の目的は、ワタリガラスの伝説を求めつトーテムポールやそれを築いたインディアンのことを調べる旅であり、一方こちらはあてもないまま、かつてゴールドラッシュで沸いた寒い辺境の町を逃げるようにして船に乗った身、印象が違って当然だろう。
 それはさておき、凄い、素晴らしい写真を彼はたくさん残してくれたものだ。文章もそうだ。極寒の地で単身、長期にわたる撮影、そしてその苦労と努力、感服するほかない。

 星野があんな壮絶な死に方をしなかったら、今もなお彼は、西部開拓時代の面影を残すフェアーバンクス郊外に暮らしていただろうか。広大なアラスカの自然や動物、そして日本人ともその祖先を共有するかもしれない人々の歴史や文化、生活について、変わらずに発信してくれていただろうか。

 かならずしも彼の熱心な読者ではなかった。しかし、絶えず気になる人物ではあった。それは、もうアラスカに行く希望も夢も失せた男にとって、彼の地に寄せる詮もない個人的な感傷・思いをば、せめて彼の発信する作品を通して甦らせ、確認したかったからなのだが。

 林さんが持ってきてくれた星野道夫の本、パラパラとページをめくっているうちに、今日は枝打ちのことを書こうとしてエライ遠い所、人の話になってしまった。今日は小屋の宣伝は休みにします。

 
 
コメント
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