


山室川に沿って狭い芝平の谷を行く
長い歴史を誇るこの山奥の村は、1961年のいわゆる「36災害」の大被害が引き金になって、廃村に追いやられたと聞く。このブログに登場する北原のお師匠は、この村出身の中でも最古参の一人だ。

村人が村を去るに当たり建てた碑
「芝平村村史」を読めば、当時の暮らしが彷彿としてくる。農業、炭焼きにも増して、この山村には良質の石灰が産出し、暮らしぶりは悪くはなかったという。
しかしそれでも山奥の村のこと、病人が出ても医者がいない。馬を引っ張って医者のいる高遠まで何キロもの山道を行き、その馬に医者を乗せてきて診てもらったのだそうだ。医者が留守ならば帰るまで待たねばならなかったし、また診察がすめば再び医者を馬に乗せて送らなければならなかったと、村史は伝えている。
北原のお師匠によれば、豆腐はめったに食べることのできなかった食品だそうだ。

この村の歴史を感じさせる道祖神
この北原のお師匠、15年我慢してついにめでたくも先日、テイ沢の夫婦岩の(下流から見て)左側の岩にも足跡を記した。右側の岩には何度も登っていたお師匠も、左側は登れないものと思い込んでいたのだ。ところが弟子が行ったという話を聞けば、やたらに競争心を煽られて(お師匠はそういう人)、密かに登った話はこのブログにも書いた。
そのとき目にした石塔の拓本を取ると決め、小春日和の今日、お師匠さまはやってきた。(つづく)
山小屋「農協ハウス」の冬季営業については、11月1日のブログをご覧ください。