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牛に音楽を聞かせる、という話はかなり以前から聞いて知っていた。乳の出が良くなり、肉牛は肉質が向上するという話だが、それもモーツアルトがいいのだという。人間でも難しいのに、牛に聞き比べができるとは思えない。多分、この蓄主は独自の販売ルートを持っていて、モーツアルトも含めて、話題作りのような気がするが違うだろうか。
搾乳された牛乳は集乳され、市場へ出る前に殺菌処理が行われる。この過程で牛乳の味は均一化されるが、こうした処理や加工が独自にでき、販路を確保できる観光牧場や蓄主は味に拘り、独自性、個性化を追求しようとする。そうなると、他所の牛から搾乳された牛乳と区別化を図ろうとするに違いない。
こういう牛乳はアイスクリームとかヨーグルトなどにも加工されるが、その最高級品は那須にある御料牧場のものらしい。特にアイスクリームは絶品だと誰かが言っているのを本で読んだことがある。
モーツアルトが本当に効果があるか否かは措いて、もちろん牛にあまりストレスを与えず、快適な住環境を提供してやることは重要なことだと思う。思うが、しかし、これは言うほど簡単なことではない。
牧草だけなら、日に体重の12パーセントも食べると言われる牛であり、その大量の草が何百キロもの体重を維持するのである。当然、代謝が起こる。
入牧したばかりの牛はそうした汚れを付けているのが大半で、われわれはそれを「鎧を着ている」と言ったりする。屋外に放り出されて、幾日も雨に濡れてようやく、牛は鎧を脱ぐことができるわけで、下牧する時はすっかり身ぎれいになってトラックに乗せられて帰っていく。
反芻の時と、寝てる時以外、牛はひたすら草を食む。長閑な眺めなどと言ってるのは人間で、生きていくために文字通り必死で食べ続ける。泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロ、卵を産み続けなければ殺されてしまうニワトリと同様、生きることは即ち食べることで、いまだ貧困にあえぐ国の人たちを省けば、人間のように食べることと生きることの間に余裕などない。食べることは牛にとっては単調な肉体労働と変わらないだろうと、その姿を悲愴にさえ思いながら見ることもある。
牛も豚も家畜である運命から逃れられない。搾乳量を増やし、良質の肉を求められる。モーツアルトを聞かされ、ビールまで飲まされるのも、愛玩動物を喜ばせるのとは違う。
たった4ヶ月、雨に打たれることもあれば、落雷に襲われることもあるが、それでも入笠牧場のような広い草原で、勝手気ままに草を食む。短い生涯の中で牛にとっては最も幸福な期間だと言えるのではないだろうか。初めて入笠牧場へ牛を上げた蓄主からも、今年は大変に好評だったと聞いた。
本日はこの辺で。