さて、こちらは現代的建造物やアイテムをいかにして隠したかの一枚。
木の衝立は有っても不思議ではないのですが、時代考証が正確かどうかは不明。これがないと樹木を植えている部分が見えてしまう上に、直ぐ後ろは国道だったりします手前のブロック塀は実際は手摺りでして、すべてベニヤなどで作られた覆いです。
おそらく防火桝か手洗いかと思われるアイテムも、本来なら手動式のポンプが隣にないといけません。当然、海岸縁なので井戸を掘っても海水の可能性が高く、ここに有る物に関しては良く分からない部分もあります。若年兵が真水を毎朝満たしていた可能性もあり得るので、否定は出来ません。
木で作られているゴミ箱も、コンクリート製だったような気がします。フタの部分はブリキかトタン板です。オイラが子供の頃には、既に使用されなくなって久しいゴミ箱が「焼却炉」として活躍しておりました。近所に結構ほっくり投げてありまして、今でも呉市内を隈無く探せばどっかにありそうなものです。
当然、オイラが子供の頃にはゴミステーション方式へ改められていましたから、ゴミ箱と知ったのは当時のおばあさん達からでした。ポリバケツが奥の方に見えますが、恐らく撮影関係者用の物です。
オイラがお気に入りのアイテムは「自転車」 これはポイント高いですねぇ。このタイプの自転車も、実はオイラが子供の頃に「完全に錆び付いて不動車状態」のものが近所に投げてあって(結構投げてあったのですよ いろんな古い物が…)、異常に動きが渋いブレーキレバーで手を挟み、血豆を作った事がありました。
とんでもなく重たい自転車だったのを覚えてますね。シートも今のように柔らかくなく、2基のスプリングがダンパーとなっているだけです。これを見た時には、結構懐かしかったですねぇ。
呉って、結構アチラコチラに戦時中のなごりが投げてあったのですが、当時の役所は保存することなんぞ興味がなかったようでして、つい近年も戦時中の貴重な資料を「道路拡張のため」いとも簡単に壊してしまいました。
探せばトーチカの跡も見られる呉湾に面した地域一帯で生まれ育ったからこそ、色んな物を見てこられたのだと思っています。
木の衝立は有っても不思議ではないのですが、時代考証が正確かどうかは不明。これがないと樹木を植えている部分が見えてしまう上に、直ぐ後ろは国道だったりします手前のブロック塀は実際は手摺りでして、すべてベニヤなどで作られた覆いです。
おそらく防火桝か手洗いかと思われるアイテムも、本来なら手動式のポンプが隣にないといけません。当然、海岸縁なので井戸を掘っても海水の可能性が高く、ここに有る物に関しては良く分からない部分もあります。若年兵が真水を毎朝満たしていた可能性もあり得るので、否定は出来ません。
木で作られているゴミ箱も、コンクリート製だったような気がします。フタの部分はブリキかトタン板です。オイラが子供の頃には、既に使用されなくなって久しいゴミ箱が「焼却炉」として活躍しておりました。近所に結構ほっくり投げてありまして、今でも呉市内を隈無く探せばどっかにありそうなものです。
当然、オイラが子供の頃にはゴミステーション方式へ改められていましたから、ゴミ箱と知ったのは当時のおばあさん達からでした。ポリバケツが奥の方に見えますが、恐らく撮影関係者用の物です。
オイラがお気に入りのアイテムは「自転車」 これはポイント高いですねぇ。このタイプの自転車も、実はオイラが子供の頃に「完全に錆び付いて不動車状態」のものが近所に投げてあって(結構投げてあったのですよ いろんな古い物が…)、異常に動きが渋いブレーキレバーで手を挟み、血豆を作った事がありました。
とんでもなく重たい自転車だったのを覚えてますね。シートも今のように柔らかくなく、2基のスプリングがダンパーとなっているだけです。これを見た時には、結構懐かしかったですねぇ。
呉って、結構アチラコチラに戦時中のなごりが投げてあったのですが、当時の役所は保存することなんぞ興味がなかったようでして、つい近年も戦時中の貴重な資料を「道路拡張のため」いとも簡単に壊してしまいました。
探せばトーチカの跡も見られる呉湾に面した地域一帯で生まれ育ったからこそ、色んな物を見てこられたのだと思っています。