川端康成 「伊豆の踊子」 新潮文庫 昭和25年8月
解説 三島由紀夫
「山口百恵・三浦友和の初共演作。大正時代末期の伊豆を舞台に、旅芸人の踊り子と男子学生の心のふれあいを描く、川端康成の名作文学を映画化した青春映画。監督は西河克己。」と書かれたNHKシネマを録画した。
“百恵ちゃんが踊子だったから「伊豆の踊子」を読んだ。百恵ちゃんが…
のとっぷり世代。(本当にそれら読了したんだろうか。記憶はおぼろげ霧がかり。)”でもあるので、とにかくここで読んでおこうと読み始めて読み進まないうちに家族がその録画を再生し始めた。
今読んでるのに。読んでから再生しようと思っているのに。そんなこと家族に伝えるのもなんだか面倒な気がしていっしょに見てしまった。
しかし踊子たちが傍にゐなくなると、却つて私の空想は解き放たれたやうに生き生きと踊り始めた。
ほんの始まりのところの上記の文辺りを
しかもこの頃気になっていた瑛人流れで
♪ わかるでしょ 僕はバカ
でも君に今恋してる
なメロディに乗って読んでいたところを
途端画面の前に寄せられると
山口百恵の映画なのだなあと圧倒される。
封切の頃に 大きな劇場に入ってまずは一回見て
続く 三人娘の歌謡ショー(いわゆるライブ)みたいなのも見て
(小柳ルミ子と後二人誰だったのか忘れてしまった…。)
当時は入れ替えが無くて
映画・ライブ・映画なる連続観賞が可能だった。
「どうする?も一回見る?」「も一回見る!」
などとその次の回の上映も見続けるという凄まじい観賞をして、幾星霜。
初めて見る家族がしげしげとストーリーを追っていく横で
画面の中の百恵圧がやけに強く感じる私は
友和が 瑛人のせつなソングに包まれていくような感覚に迷い込んだ。
♪ 映画の見過ぎでロマンティックなことを考えちゃう
間違えて僕の家のドア開けないかな
好奇心もなく、輕蔑も含まない、彼等が旅藝人といふ種類の人間であることを忘れてしまつたやうな、私の尋常な好意は、彼等の胸にも沁み込んで行くらしかつた。
年若かった私たちは、百恵版のラストに苦しささえ感じたが
年重ねた私が文庫版を読み終わって残ったのは、どこか苦味のような思いだった。
「伊豆の踊子」は 誰か。
「踊子」は 誰か。