“○ Sorprenderse, extrañarse, es comenzar a entender.
オルテガさんなのかな。”
と気になって
「大衆の反逆」角川文庫版 神吉敬三訳 1967 に
「驚くこと 不思議に思うこと それが理解の始まり(ゴガク番組内訳)」っぽい文を探しながら読み始めたところ
なんだかすぐに(7ページ)現れでた。
神吉敬三訳
「ものごとに驚き、不審を抱くことが理解への第一歩である。」
たぶんここだろうな と思いつつ
不思議/不審 が並ぶことに それこそ不審を抱き、別の本を調達してみた。
寺田和夫訳 中央公論新社 2002
「驚くこと、奇異に思うことは、理解への第一歩である。」
三つ並べてみると なんか安心してしまった。
「不思議」は 入門ゴガク番組にふさわしい気がするし
「奇異」があらわれたことで 不審から不思議への流れができたような気もするし
「不審」「奇異」は 名言集たる見目形を成す、そんな納まりを感じた。勝手かな?
で引用ついでに その前ページの一部を書き写すと
神吉訳
「…都市は人で満ち、家々は借家人で満ちてい
る。ホテルは泊り客で、汽車は旅行者で、喫茶店はお客で、道路は歩行者で満ちている。有名な
医者の待合室には患者があふれ、映画、演劇には、出し物がそれほど時代おくれのものでないか
ぎり、観衆がむらがり、海浜は海水浴客であふれている。以前には問題にならなかったことが、
つまり、空いた場所を見つけるということが、いまや日常の問題となり始めているのである。」
寺田訳
「…都市は人で充満している。家々は借家人でいっぱい。ホテルは旅行客でいっぱい。汽
車は旅客でいっぱい。喫茶店はお客でいっぱい。散歩道は歩行者でいっぱい。知名な医者の診察
室は病人でいっぱい。時期はずれでなければ、劇場は観客でいっぱい。海岸は海水浴客でいっぱ
い。以前には問題にならなかったことが、ほとんど慢性的になりはじめた。それは、場所を見つ
けることである。」
寺田訳に浮かび上がるオルテガさんは 神吉オルテガと違う人みたいに思える。
と どこに「花子とアン」出てくるんだ!、でありますが
スペイン語吹っ飛んで オルテガオルテガしていたところに
「花子とアン」月曜日、
My hair is turning gray. That is a long story.
富山先生訳
「私の髪は 灰色に変わってきました。 それは 長い物語です。」
安東はな訳
「私は 白髪が増えてきました。 話せば長いのよ。」
が出てきたのです。
富山先生の訳には 宮本輝のような小説が続きそうにワクワクさせるし
はな訳には
その先粘ってインタビュー続けると 「龍馬の手紙」級の何かがやってきそうな気になるではないか。
(あー、テレビ見過ぎ。。。)
それにしても(寄り道し過ぎついでに突き進むと)
「龍馬の手紙 という大発見」もさることながら
鑑定歴40年以上の専門家の人の佇まい・語り口が気になりだし 検索したら
「市場に漂流する貴重な歴史史料の価値を見極め、あるべき場所に納めることを本分として活動する。」との紹介がついていた。
この方ご本人も 龍馬のようであります。
もっともっと お話を聞いていたかったな。