バラエティ番組で「木綿のハンカチーフ」の歌詞の解題を行っていた。
(解題ってそんなに硬く表現してもなんですが、うら若きプレゼンターが「(歌詞は)4番まで(も)あるんです!」とはりきって説明していた。)
長い間、そうつい最近まで 私もその番組での受け取り方のような印象を「木綿のハンカチーフ」に抱いていた。
井上芳雄の歌う「 木綿のハンカチーフ」を初めて聞いた、その時までは。
井上芳雄の歌う「 木綿のハンカチーフ」は、別物だった。
♪ はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ
ん?「 木綿のハンカチーフ」の中のこの男子は こんなにものびやかだったのだったっけ?
地に足がついていて、だからのびやかとなる。
のびやかさには芯が必要なんだ。(あるいは根だろうか。)
井上さんの声を聞いて、ハンカチーフ男子を再発見するとんでもない?世界が現れた。
で 振り返ると せつなさ100%みたいに受け取っていた女子側の思いが
どうしたんだ、かたくなさ100%方面にオセロひっくり返しされてしまったではないか!
♪ ねえ 涙拭く 木綿の
ハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい
人生に展開を求めるか、完結を維持するか、間に立って ハンカチーフじりじり。
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その立場大逆転みたいなシーンを「Pretender」を歌う島津亜矢にも見た、
って話を書きたいんですが
時間が、というか 書きまとめようという余裕がない。
○ 亜矢「Pretender」女子は「Pretender」男子とはなんて違う立ち位置で恋してんだあ?!
○ 髭男「Pretender」も亜矢「Pretender」も 自己肯定感それぞれに100%なんですが、こんなにも対極にあるなんて。
という事を書こうとしていて、ね、こんなん まとめようとすることが無理なのかもしれない。