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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「桑原さんの赤色」

2024-11-10 | _よむ__
ハン・ガン著どどどどどーと読んできて
「小説版 韓国・フェミニズム・日本」(日韓最前線、12人の作家たちによる夢の競演←出版社サイトの紹介文より)の中にハン・ガン著あり
にやってきた。が どどど過ぎて読み疲れ。
ハン・ガン著の部分読むに至らなかったが
ただその中の他の1作、
松田青子著 「桑原さんの赤色」 を読んだ。

赤色
赤色
どちらで読むのだろう発音するのだろうと
二つのヨミで打ってみたけれど両方出ますわな、当たり前か。
では、どちらでもいいかと思って読み進んでいたけれど
1か所 どちらでもよくない気がするところが出てきて
ルビが前に出てきたのかしら、と短編を遡って探したが
見つからなかった。
単に メイクアップに詳しくない私だけの疑問なのかもしれない。



 
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「パスト ライブス/再会」 寄り道 「回復する人間」

2024-11-08 | _よむ__
ノーベル文学賞つながりでやってきた。
ハン・ガン著 「回復する人間」、1冊に7つの物語が入っている。

「『菜食主義者』でアジア人初のマン・ブッカー国際賞を受賞し、『すべての、白いものたちの』も同賞の最終候補になった韓国の作家ハン・ガン。本書は、作家が32歳から42歳という脂の乗った時期に発表された7篇を収録した、日本では初の短篇集。」(出版社サイトの紹介文より)

この本を読み進んでいって、どうしてだか知っていて知らなかった(知っていると思ったのに分かっていなかった)ことのことを思った。

野球の試合だ。(ルールを知っている。野球だもん。)
延長になった。ん?塁に人がいる。(ん?そういうルールなの。野球なのにルール知らなかったじゃん。)

この本を読み進んでいってそんな気分が繰り返される。
私はここに立たされて読んでいけ、ということか。
どうする、私?
私は[ アーサー:ノラの夫、作家 ]なのか?
いやいや(^^)/、それじゃあまりになぞり過ぎな寄り道。
でもそもそも、超個人的な寄り道だもの(寄り道っちゃあ、そういうもんだろうけれど)、
私はアーサー。
未明のバーで、隣席の会話に会話せずに漂っている。
ところで アーサーには隣席の二人の会話を対話を理解することができなかったのだろうか。
彼は 隣席人の言語を学習したことがあったようなセリフがあったような気がするのだが。

☆☆☆
“ さて。
 逢びき夫(主人公・ローラの夫)は いつから気づいていたのか(・・? ” に 加えて

その夫の差し向かいたるクロスワード・パズルの中に 果たして
‘huge cloudy symbols of a high ~’ は 本当にあったのか。それとも…
☆☆☆



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「パスト ライブス/再会」 寄り道 「ギリシャ語の時間」

2024-11-04 | _よむ__
ノーベル文学賞つながりでやってきた。2冊め。
ハン・ガン著 「ギリシャ語の時間」

【アジア人初の英国ブッカー国際賞受賞作家、
ハン・ガンによる心ふるわす長編小説
ある日突然言葉を話せなくなった女は、失われた言葉を取り戻すために古典ギリシャ語を習い始める。ギリシャ語講師の男は次第に視力を失っていく。ふたりの出会いと対話を通じて、人間が失った本質とは何かを問いかけていく。
「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」 ――ハン・ガン】(出版社サイトの紹介文より)

いきなり飛びますが
ドラマ「エルズベス」で
主人公のある台詞一つ、
彼女がしゃべった(≒吹き替えられた)
「声に出して考えているだけ。」は字幕で
「声に出して整理中。」となっていた。
(吹き替えと字幕はその逆だったかもしれない。とにかく再生中に吹き替え版なのになぜか字幕も表示していたら、時々表現が違っていることに気づいた。)
例えば
◯ そう多くはない
◯ ほんの少しだけ
に代表者となってもらおう、このランクの表現違いはほかにも何か所かあって
これは違うけど違わない(違っていると問うてしまうと成り立ってしまうけれど、大勢は違っていないで結構です)。
けれども
◯ 声に出して考えているだけ
◯ 声に出して整理中
を 違っていない にできない。私がね。ここでね。たまたま見つけただけなのにね。だから悩む、の方向ではなくて 1粒で2度おいしい の方向。「整理中」の方のエルズベスは、なんか新鮮。

いきなり戻って、「ギリシャ語の時間」。
手探りで読み進む。
私はこのストーリーに付いて行っているのか。
読了した今も ハテナな感じが続いている。
そのハテナ感の鮮やかさ。
印刷された日本語を読み取った私の読解力はどの程度なのか。
読解したくなければ途中で読むのをやめればいいだけのこと。
なのに 読了してみたかった。
不思議な世界。
強い世界。
この強さをどう受け取るか。



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「パスト ライブス/再会」 寄り道 「菜食主義者」

2024-10-31 | _よむ__
ノーベル文学賞つながりでやってきた。
ハン・ガン著 「菜食主義者」
この著者の本を初めて読んでいます。
ハングルもじっと見たことは今まであっただろうか。
채식주의자
なんだか最初の文字が違う気がするのだけれど 書体の関係か何かなんだろうか?
左側が ふたり(二・人) だったり、 いちす(一・ス) だったり、 だい(大) だったり。
知らないので たぶんとんでもないこと書いてるのかもしてないが、面白い。
“トタタタ テタタタ と聞こえていたドイツ語からは この頃進歩”の時みたいで くすぐったい。

さて。「菜食主義者」です。読み終わりました。
「菜食主義者」というタイトルを含む、3連作小説。面白い。
ただ3作目あたりから疲れ始めました。
もっとゆっくり書いてもらいたい。
そんな変な感想です。

そう言えば。ピビンパだったんですね。
わたしぜんぶ濁音だとばっかりおもっていた!



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「パスト ライブス/再会」 寄り道 「一冊でわかるカナダ史」

2024-10-29 | _よむ__
[ ノラ:12歳に韓国からカナダに移住し、現在NYで暮らす、韓国系カナダ人 ]
12-24-36
の 12-24 の頃にNYに移った、ノラ。
NYもそんなに知らないけれど(≒んな割には「エルズベス」関連で私も少しNY通><になってきた?ハンプトンズとか(^^)/。)カナダもなんだか通り過ぎてしまっている国のように感じて、ひとつ、本、読んでみた。
「一冊でわかるカナダ史」 河出書房新社 2024

本の作りは 文章表現とか平易な感じなのですが とにかくカナダ史を200ページくらいぶっ通しで進んでいきますのでタイヘンです。途中から小見出しだけ追っていくような読み方になった。
少しメモメモ。(p.12、19、173、188)
◯ 標準時子午線 日本は1つ、カナダは6つも。(6つに分かれているってこと?)
◯ エスキモー(1980年代まで)→イヌイット
◯ メディケア(医療制度) 患者は一切の医療費を払う必要がなく、その全額を連邦政府と州政府が負担。全額!
◯ 1990年モホーク族が大規模な抗議運動→連邦政府、先住民に対する調査委員会を発足→19世紀末から教会が運営していた各地の先住民寄宿学校において、多くの生徒が先住民の言語や習慣を強引にやめさせられたほか、虐待を受けて命を落とした生徒がいたことが問題となった。→連邦政府は2008年に、寄宿学校をはじめとする過去の政策に対して謝罪するとともに、先住民との関係改善をはかる声明を出した。(この件に関しては、以前、「アンという名の少女」(原題:Anne with an “E”)の中で知ることとなった。Anne with an “E”をもう一度見てみたくなりました。)



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「なぜ東大は男だらけなのか」

2024-10-16 | _よむ__
「なぜ東大は男だらけなのか」 矢口祐人著 集英社新書 2024年2月
を読んだ。

いくつか抜き書き(「」内)と私の感想。
序章  「また、本書では大学生の女性を「女子」と記すことを極力避けている。」(p.34)
第二章 『三四郎』解題あり。解題なんて勝手に言ってしまったけれど「なぜ東大は男だらけなのか」から見た『三四郎』。これがとっても腑に落ちる。もう『三四郎』読まなくてもここのこの6ページ分くらいを読めば済むんじゃないかと思ってしまうくらい。(許せ、漱石。)
第三章 (1946年4月に行われた戦後初の東大入試では女性も受験ができるようになった。受験者男性4375名女性108名、合格者男性1007名女性19名)「入学式の翌月に…行われた「女子学生懇談会」では「衛生施設の完備(便所の区別、掃除等)女子控室等が要望された」ことからもわかるように、女性を迎える環境整備はまったくなされていなかった。」(p.105)女性専用トイレができたのは1947年以降になってやっとのことだったようだ。数は全然足りなかったようで1974年入学生に至っても「お手洗いがないし」の状態だった、とのこと。「PERFECT DAYS」を最近見た者としては、このあたりのトイレ事情とっても気になりました。一生懸命勉強して東大に受かって、そして日々トイレ事情に苦しむ。なんということだ!!!「卒業生の女性の回顧を読む限り、敗戦後、アメリカの圧力のもとで突如として女性の入学を認めた東大には、男性中心の学習環境を変える意思も余裕もなかったようである。」(p.107)
終章 吉原真里さん(ハワイ大教授)の名が出てきた。と言うか、そもそも吉原真里さん関連でこの本のことを知って読み始めたのでした。吉原さんは今年度から5年間東大とハワイ大の半年ずつの教授に着かれた、とのこと。(←なんか表現が変なですが、ご本人サイトからの情報はしょって書いたらこうなった。)10月の今頃はハワイ大におられるのかな?吉原さんは東大卒。80年代後半からの学生としての東大生活、そして21世紀四半世紀になんなんとする今の教授としての東大生活。東大トイレ事情変遷を身をもって感じられたのだろうか。なんかトイレがものすごく気になってるな、私。



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「エマウス運動」

2024-10-11 | _よむ__
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASS9X7W4VS9XUHBI023M.html?_gl=1*1s3x0zu*_ga*MTY2MjI1NTkyMi4xNzI4NTUzNzE2*_ga_XJ5END643J*MTcyODU1MzcxNi4xLjEuMTcyODU1Mzc1Ny4xOS4wLjA.
国民が敬愛した神父の性暴力が明らかに フランスで広がる衝撃

このニュースに驚いた。

私がこのニュースの中に出てくる「エマウス運動」を知ったのは もうだいぶ前の自分の読書体験の中からであった。
「知った」、本当に文字通りのその段階止まりまでの知識でしかなかったが
その読書体験の中での「エマウス運動」の紹介のされ方には
途中から先が見えなくなるようなトーンがあった。

その一連なりの読書体験をもう一度始めてみようか(読み直してみようか)、そんな気にさえにもなってくる
今回のニュースでの驚きだった。



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しあわせ気分のゴガク 独・西 寄り道 München

2024-10-10 | _よむ__
München (音)大学生 で拡張インターネット散策していたら、
白バラ
と出てきた。知らない。
で知ろうと
「ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か」 對馬達雄著 中公新書 2015
を手にした。

ドイツ現代史のなかのわずか12年間のナチス期、
「あとがき」にこういった表現が出てきて 干支のような年数数字に混乱を感じた。
そういう時間の塊で考えたことが無かった。

「はじめに」と「あとがき」は 読み取れた気になっている。
本文は しっかりと読むのが難しかった。白バラの出てくるところなどだけ読んでの飛ばし読み、となった。
その「はじめに」と「あとがき」、その辺りからの抜き書き
「はじめに」 「同意の独裁」
「あとがき」 「市民的勇気」・「ツィヴィル・クラージュ」←フランス語をドイツ語化した←ビスマルクの造語→ビスマルクは【「市民的勇気」⇔「戦場の勇気」】という対比のもとにこの語を用いた。

ジャケットカバーの折り返しのところと
出版社サイトのところとに
紹介されていた文章。

「いつでも人には親切にしなさい。助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なことです。だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになるのです。これから頑張ってね、さようなら。お父さんより」(反ナチ市民グループ《クライザウ・サークル》のメンバーが処刑前に十一歳の娘に宛てた手紙)



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Thank you for being my friend. 再び

2024-09-28 | _よむ__
吉原真里著「不機嫌な英語たち」は、著者の半自伝的「私小説」なのだそうだ。
吉原さんの経歴欄に
1968年 ニューヨークで生まれる。その後、東京都大田区で育つ。
1979〜1982年 カリフォルニア州クパティーノ市在住。
とあって、そのあたりの(七年生か八年生の時の)yearbookのことが小説の中に出てきた。

yearbook付属の白紙の薄い冊子に友人からメッセージを書いてもらうのがその当時の慣習だったとの事。
あ。私の思い出、
“その昔 卒業を控えて サイン帳手に手に
クラスメイトや先生や
校内道行く知己なる人々に
「書いて。書いて♡。」あるいは「一言お願いしまーす。」
〈もうすぐ卒業〉の私たちが蝶のようにあちこちひらひらと
一言求めて飛び回っている。”
と似たような部分なのだな、と読み進んだ。

そのyearbookを主人公は20年ぶりくらいに見返しているのですが
書き慣れた子書き慣れない子、色々なメッセージの中に

Thank you for being my friend.

のフレーズが出てきた。

「短くひとこと、Thank you for being my friend.とだけ書かれていて、かえって胸を突くものもあった。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


作品主人公が邂逅したこのフレーズに 読者の私も以前、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Thank you for being my friend.

須賀さんの病室を訪ねた時に
帰り際 ジョエルさんがそう聞いたと思う、須賀さんからの言葉。
(聞き直すことはできなかった。)
ジョエルさん(あるいは スマさん)がそう訳したのか、
この雑誌(ムック)の編集者がそう訳したのか、
括弧の中に次のような訳文が続いていた。

友だちでいてくれてありがとう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

のところで出会った。

Thank you for being my friend. 再び。

私がどこまでその英語の深みを感じ取れているのか、Thank you for being my friend. 再び。



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「不機嫌な英語たち」・自由が丘の家・朝ドラ『虎に翼』対談

2024-09-28 | _よむ__
吉原真里著「不機嫌な英語たち」の主人公はピアノを習っていた。

「新しい曲をはじめるときにはいつも、先生は棚から五枚のレコードを取り出し、一枚ずつプレーヤーに乗せて、私をソファに座らせ、自分も隣に座って一緒にその曲を聴いた。」

そういうふうにして主人公が知っていった、リヒテル、グルダ、ブレンデル、グールド、園田高弘。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ん?園田高弘?あれ?ピアニストだったの?レベルの私が驚いているのは置いといて(置いとく割に書くと指揮者か何かでいらっしゃると思っていた)、園田さんち(自由が丘の家)方面から園田さんの名を知っていて、さて、その自由が丘の家は今どんな具合なのだろう?
連想はそう飛んだが、あっという間に着地した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スーパーでの買い物が済み出口に向かう途中雑誌スタンドに立ち寄った。
あれ?「はて?」の文字が表紙の中に見える。
「はて?」と言ったら『虎に翼』?―そうだった。
その「暮しの手帖」を手に取ってみると続く内容見出しの中に「吉村順三の小住宅」という文字もあった。
吉村さんで/小住宅で/もしや?→そう、記事は自由が丘の家のことだった。ほらね、こういう着地です。
ちなみに
“別の家具に不具合が発生し、買い換えることに。
予算に合うならば こんな風なのを買えたらいいな、の 「こんな風」が
○ 吉村順三風
○ ル・コルビュジエ風
の2点。
笑っちゃうほどの壮大な2点であったが、それが奥さま、すぐに見つかりましたの。驚き。
な~に、客観的に考えれば全て 小公女セーラの「つもり」!トレーニングの成せる業。”
な家具は、こちら自由が丘の家の写真の中で見かけた吉村さん設計の家具と「似てる~♡」と思い込んで(←ここ大事。相対判定では似ていないのかも。)購入したもの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雑誌コーナーに立ち寄ったそもそもの動機は、
今年は(≒来年は)「SNOOPY家計簿」どうしよう?の迷い感からであった。
なのに雑誌、飛び込みのように一冊買ってしまったではないか(「暮しの手帖」のことです。)。
さてさて。どうしようかな。



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