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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

『海街diary』・連想ゲーム 1 ウーリー・オルレブ 1 「走れ、走って逃げろ」 

2016-05-31 | _よむ__

♪ Every child has a beautiful name
   A beautiful name, a beautiful name

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『海街diary』を見ていたら 

「戦争で身寄りを失った兄弟が、手紙をくれた
 『お母さんのお姉さんの夫のお兄さんとその妻』に会いにいく。」
―「遠い親せき」ウーリー・オルレブ 岩波― を思い出した。

そのウーリー・オルレブの作品の中で 最近映画化されたものがあることを知り、
そちらを読んでみることにした。

「走れ、走って逃げろ」 ウーリー・オルレブ 母袋夏生 訳 2015(2003)
RUN BOY, RUN by Uri Orlev 2001

「71 years ago」よりもさらに3年ほど前、
ワルシャワ・ゲットーに暮らしていた少年は、家族とはぐれ八歳でたったひとりになってしまった。
ゲットーの外へ脱出した少年の 
ユダヤ人と分かりやすい自分の名を変え、農村と森を放浪する過酷なサバイバルが
その時から始まった。

映画化された 「走れ、走って逃げろ」RUN BOY, RUN の邦題は
「ふたつの名前を持つ少年」。作品の内容を前面に出した形となっている。
少年 名前 と 言葉を並べた時に まず心に浮かんできたのは
冒頭に書き写した歌詞だった。
作品を読み進んでいくその時その時に
Every child
has
a
beautiful name 
それらの単語が ビカビカ、まるで逆悪夢のように現れ出て、比較せずにはいられなかった。
「農村と森を放浪する過酷なサバイバル」、過酷と言う言葉すらも追いつけないような実話を
目まぐるしいほどの展開で次々に知ることとなる、作品です。

 

 

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「奇跡の人」(TVドラマ) 第1話―第5話

2016-05-29 | _気な・気な_

「奇跡の人」と聞いたら いっとう始めに思い浮かぶのが「ガラスの仮面」、な人生であります。
「え。やるんだ(放送するんだ)。」と 勢いで録画予約して、そのままたまっていた。
番組内容予告の番組で 亀持一択・役 の人は、目にしていた。

5話分一気に再生した。疲れましたが
一択 の声をもっと聞きたい。とも思った。
わー、八袋 さん、光石研 だった。途中まで 気ぃつかへんかった><。

 

 

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魔法を使うということは (その前に、 16÷100 ≒ 1÷6 )

2016-05-27 | _よむ__

「重版出来!」に 明和電機、出演。
そういえばこの頃、
「現代の魔法使い」 * って人がテレビに出ているのをよく目にするが、どういう人なんだろうと
明和電機 → 落合陽一
連想のもと 『これからの世界をつくる仲間たちへ』 2016 を読み始めた。

プロローグもその冒頭、
「 21世紀が来て16年、今世紀のすでに6分の1を消費したいま、…」と言われて
そういう時間勘定を今まであまりしたことがなかったなと思った。
〔パラダイム〕、〔フレームワーク〕、〔プラットフォーム〕、…
章末にまとめてある 注 にも目を通そうと ページを行き来する。
本全体が太めのゴシック体で装幀されていて 見慣れぬせいもあってか、 
読み進めることに ちょっとした緊張感が重なってきます。

その方がわかりやすいということから 「魔法を使う」という表現がついている人のようだ。
じゃ、魔法って何かって言うと コンピュータの世界界隈の事のようで
「そんなん、突端に書いてあることでしょ。」
「そうそう、つまりは読み始めたばかりなんですよ。」

 


BS放送のザッピング番組では、ファッション ** 披露(ランウェイ歩き)していた。お似合いです。

**
ヨウジヤマモト とのこと。私も着てみたい。

 

 

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ハーバード大学は「音楽」で人を育てる…〈から〉学ぶ 4  ≪オルフェオ≫流れ 『対話』

2016-05-23 | _よむ__

「初日―五つの世界初演(First Nights:Five Performance Premieres)」

モンテヴェルディ≪オルフェオ≫(1607、マントヴァ)
ヘンデル≪メサイア≫(1742、ダブリン)
ベートーヴェン交響曲第九番(1824、ウィーン)
ベルリオーズ≪幻想交響曲≫(1830、パリ)
ストラヴィンスキー≪春の祭典≫(1913、パリ)

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五つの世界初演の その初日。
ハーバード大学で 追っていく学問を
“その五作品近辺を散策のようなことができるだろうか。”勝手にツアーで 独り回ろうとしていますが、
なんだか 流れに乗って 『対話』方面に来ています。

と、
ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群』 を読んだ。
(↑どこに『対話』が?―この文庫版になる前の単行本時のタイトルが「ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生」。)
(↑こちら対談本。そのうちの一人、平田オリザ氏が 婦人之友 5月号 座談会・対話のレッスン にも出ていた流れ。)
(↑薄く、活字大きく、章ごとのまとめあり、網掛け目立たせコラムあり、の工夫された編集。あとは その気になって読むかどうかだけですぞ、と誰かに囁かれている気になってくる本でした。)

読んでいくと 混乱が増し、不安も重なってくる。読んでいくということは 一人だからだろうか。
(「対話 は、自分の向こうに相手がいる。
 そういった場を持つことと同時進行にならないと 進んでいかない。」そんな不安と混乱です。)

と ざわざわした気持ちになることは 新鮮です。
  

 

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『海街diary』

2016-05-22 | _気な・気な_

美しい三姉妹のもとに 母違いの妹が現れて
美しい四姉妹の日々が 綴られていく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

映画『海街diary』の監督は 是枝裕和 で、原作は 吉田秋生 。
それぞれの人に ゆったりとした思い出があって
録画した 『海街diary』 を再生しながら 記憶をたどっていた。

 

是枝裕和作品名を確認しようと データのあるところに行ったら
先頭に 『幻の光』 と出てきて、少し驚いた。
村上春樹 とか 宮本輝 とか 新作が出ると読んでいた頃の先に 映画『幻の光』 を見た。
宮本輝 の映画化されたものを見た、という意識が強くて 監督名をすっぽり覚えていなかった。

「あき…(その次は)なんと読む名前なのだろう。男性なのだろうか。」
吉田秋生作品をしっかり読んだことがなかった。
立ち読みと言うか、斜め見のような具合で止まっていて なぜか進まずに、名前だけ気になっていた。

『櫻の園』(1990)のビデオを借りてきたときに 「あ。あの吉田何とかさんの作品なんだ。」と思ったものだった。
その後 中島ひろ子 がとても気になるようになり、出演を知ると 「あ。中島ひろ子だ。」と思ってしまい、
それは 良いのか良くないのか、少しく考えるところである。
現在でいえば
「重版出来!」 東江 絹 の母 として見るのでなく、「中島ひろ子、出てる。」 に気持ちが引っ張られてしまう。

 

そんなことを考えながら 『海街diary』(題字レイアウトが素敵。) 再生しています。

 

 

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考えるダイエット 16-05-02

2016-05-17 | _動的平衡_

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ○ 腹七分目食事
 ○ まいにち体操
 ○ まいにち踏み台昇降
 ○ 間食 なるべくしない
 ○ 「猫背、じゃないですか?」チェック 24時間12か月366日
 ○ サルコペニア肥満回避筋トレ 週3回

 □ 20080609 ダイエットスタート(±ゼロ地点)

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20160517 -0.40kg 

“増えている。
思い当たることはある。ある。” またもや。というか、大変だ。
久しぶりに “涙目スカート” はいてみた。いや、はこうとした。
入らない。通らない。。止まらない。。。と、ボレロみたいな具合になっているっ。
とにかく、とどめたい。

 

 

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EURO24-5 伊・独・仏・西・語 15(7-3) 寄り道 ロルカ (1898-1936) 2 

2016-05-15 | _よむ__

“ロルカ。どんな人だろう。
さまよえば
ショスタコーヴィチが 現れた。
読む前に聞く?
で 聞きました。”

千代田区六番町 には、フェデリコ・ガルシア・ロルカ図書館 があるとのこと。
ビルの名前は セルバンテスビル 。(ちょっと感動。)

で 読みました、マンガです。『あたしのフェデリカ』(月刊!スピリッツ)。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  僕が死んだら
  露台を開けたままにしておいて。
  子どもがオレンジを食べる。
  僕は露台からそれを聴くんだ。
  刈り取り人が麦を刈る。
  僕は露台からそれを聴くんだ。
  僕が死んだら…
  露台は開けたままにしておいて

 

フェデリカ(フェデリコ・ガルシア・ロルカ) と サルバドール・ダリ と その妹アナマリア 、
スペインの空の下
若くて
何もなくて
無名だった三人。

1936年、フェデリコ・ロルカは死んだ。
その知らせが ダリとその妹の追憶の扉を開けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

作品の中の 説明文やロルカの詩 を書き写していたら
オレンジのすぐ下の行は 「見るんだ」の誤植なのかなと思った。
けれど
「聴くんだ」の詩はそこにあって、
オレンジを聴いているロルカをそこに 見つけてしまうのです。

 

 

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ハーバード大学は「音楽」で人を育てる…〈から〉学ぶ 3  ≪オルフェオ≫

2016-05-12 | _よむ__

「初日―五つの世界初演(First Nights:Five Performance Premieres)」

モンテヴェルディ≪オルフェオ≫(1607、マントヴァ)
ヘンデル≪メサイア≫(1742、ダブリン)
ベートーヴェン交響曲第九番(1824、ウィーン)
ベルリオーズ≪幻想交響曲≫(1830、パリ)
ストラヴィンスキー≪春の祭典≫(1913、パリ)

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モンテヴェルディ≪オルフェオ≫、無かった。
あったのは、≪聖母マリアの夕べの祈り≫。

。。。それでは、もう少し
モンテヴェルディでうろうろしてみよう。と うろうろしていると
このあいだ切り抜きしたな、の アーノンクールが出てきて、
勢い 「音楽は対話である」 を読んでみることにした。

ム・ズ・カ・シ・イ。。。
『対話』と言う言葉だけが 残っていき、そこで
そもそも

“が 似たようなことを自分ちで始めてみるのは
何とかなるんじゃないか、ある日そう思っ(てしまっ)た。(無謀~。)”

な私には、自由(勝手気まま)ばかりがあり
現在 『対話』 になだれ込んでいるのであります。

婦人之友 5月号 座談会・対話のレッスン を読んだ。
座談会参加者に 井上麻矢(こまつ座代表)。
冒頭に 井上ひさし直筆、11行の言葉(詩?) 『ゆれる自我』 が 載っている。
連なる11行、その中の 中でも気になる2行を 無責任にもポップアップ。

 

まじめなことをだらしなく

ひかえめなことをわくわくと

 

 

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「題名のある音楽会」 「ヴェンゲーロフの音楽会」

2016-05-10 | _きく__

先日 「NUMB3RS」 を再生していたら、
ラリーがメーガンに
「(君、)レスピーギの リュートのための古風な舞曲とアリア 好きだったよね。」と
CD貸してあげるシーンが出てきた。

あ、「題名のない音楽会」がらみで 片っ端から聞いてきた中の作品名だ。

と分かることができてうれしかった。
だが曲調までは浮かばない。曲名覚えていただけでも 進歩だろうか。

さて、ヴェンゲーロフさん。

「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」を手に取ってみた。
(写真がいっぱいで、読んだというよりは 写真を楽しく眺めた。)
2000年の発行で、ヴェンゲーロフさん、若くてお茶目で
「ヴェンゲーロフの音楽会」再生しつつ「ヴェンゲーロフの奇跡 百年にひとりのヴァイオリニスト」眺めつつ
すると
5代目司会者・現在と ほぼ20世紀・期ヴェンゲーロフさんと
似たような世代ワールドが 出現する。

ヴェンゲーロフの立ち姿(演奏風景)、以前見た誰かに似ている。。。と
あれこれ思いめぐらせていたら
成田達輝(小学生くらいの時の発表会かなにかの時の映像)が現れでた。なんじゃらほいっ!
この、時の交錯の凄さは何だ。
成田くんがコンクール入賞した当時、テレビニュースの中で紹介されていた その小学生くらいだった時のビデオの中の成田くんの見目形のどっしり感(なんだか、大人みたい。)と ヴェンゲーロフさんの安定感が 重なって見えたのだった。

 

 

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ごえんのごえん

2016-05-09 | _かく__

お昼の後、なんか甘いもの食べようか と お菓子屋に買いに行った。
母の日 日曜日、陳列棚(と言うのかな)の前には いち、二組待っている人がいて
そのうしろに私も並んだ。

「母の日(仕様)」の掛け紙をお付けできますが、どういたしましょう。
私の前の年若いカップルの客に 店員の人はそう尋ねていた。

私の番になったが
私に その掛け紙を掛けるかどうか、同じ店員の人だったが 声はかからなかった。


そうか!私という外見(≒「母の日」そのもの年齢層)の客に
≪「母の日(仕様)」の掛け紙をお付けできますが、どういたしましょう。≫
とは 聞かない訳だ。
ちょっと考えれば それがまあ道理、と気付きそうなもんだが
聞かれたら「(私は)いらないです。」と答えよう満々の気持ちで待っていたので
問われないことに肩透かしを食ったような気分になり、直後に上記な意味を理解し
その思い込み度に 内心笑いが込み上げてきてしまって、困った。

笑いをこらえながら お釣りをもらい、その中に五円玉があった。
ちょっと古びた色合いになっている。何年に発行されたものだろう。
確認すると 探していた「○年」発行のものだった。おお、うれしい。
家計簿 特別費 の欄に 「○年の五円玉 (支出)5円」と書き込んで、
その五円玉を 引き出しの中にしまった。

というわけで、
くすくす笑って よろこんで さっぱりといい天気の 母の日 だった。

 

 

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