ほんをよむ ができて、ちょっとほっとした。
(しょうせつをよむ あたりのがけはいまだ四面にアルペンルート雪の大谷状態。〔行ったことないけど。〕)
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「霧の彼方 須賀敦子」 若松英輔著 集英社 2020.6
「生涯にわたり信仰と文学の「コトバ」に共振し、晩年に稀有な作品を遺した須賀敦子。
没後二十二年たっても読者を惹きつけてやまない作家の、魅力の源泉とは。
須賀敦子の「霊性」に、同じ情熱をもって迫る本格評伝。」(出版元の内容紹介より。)
コツコツと読みました。と書こうとして、違うな、
ぽつぽつと読みました。そんな感じの読了です。
付箋貼ってみたら付箋だらけになった。その中のいくつか。
○ 第七章 エマウス 「エマウス―廃品回収」と連なって覚えていた、須賀敦子の中の年譜。この本の中に「人々が不用だと思っているものを集めて、それに必要な修繕を施し、販売する。この方法を取り入れた時、エマウスは…」と表現されていて、ハイヒンカイシュウが浮いた言葉でなく、心の中にやってきた。持続可能な開発目標(SDGs)/誰一人取り残さない(leave no one behind)も、羽衣のようにかぶさってきた、読んでいたら。そしてたまたま、「身の丈を伸ばす」なんて表現もほかのところで目にし、ぐるぐる。
○ 第九章 「翻訳はつねに、内に批評を宿した試みである。とくに詩の場合、その関係は濃密になる。」と著者は書き切る。ひとつ、乗る船が現れてほっとしているような気分になった。(翻訳詩の存在に一家言ある人と翻訳詩の話になってしまう時があって、いつもこちら側としては形勢不利な時が多いもので。。。ごにょごにょ。。。)
○ 第十四章 「二人の人間が、互いに相手を直接に大切にするよりも、互いが大切に思える何かを見つけることができれば、多くを語らずとも関係を深化させ得る。あいだにあるものに誠実をつくすとき、かえって相手に自分の心をそのまま伝えられるということがある。」須賀とペッピーノの関係の一例を読み解いた、著者の表現。付箋貼りしてある箇所だから、一読目に気になった部分なのだろう。改めて読み直すと、これはとても難しいな、今の自分に持ってくると、と思った。もっと若かった時の方がこういう真剣みを感じながら話したり思ったりしていたように、今思う。
「霊性」という言葉に見慣れず、読みも心もとない。レイセイ?辞書にあたった。なかなか載っていない。一番新しめに手元にやってきた 三省堂現代新国語辞典 第六版 に発見。奥まって今度は「聖性」が出てきた。やはりこの 第六版 には 載っていた。