そうだった。あなたはもう物質ではなかったから、玄関を閉めていても出入りが自由だった。なにせ非物質の真如霊(スピリット)なのだ。位が上がっている。桁違いの進歩を遂げているのだった。あはは、物質界の留年生の兄とは違っていた。弟よ、飛び級をしてはやばやこの世の学校を卒業して上級学校へと進級していった弟よ。自由人よ。霊界の活動家よ。
僕はどうして今日を過ごしていいか分からなくなって、ともかくも朝日の当たる畑に出た。背中に日を受けながら、草取りをした。それから小蕪を引いた。そしてこれを水道の蛇口でじゃぶじゃぶ洗った。10時を過ぎていた。小蜜柑を食べて一休憩をしているところだ。
何をしていてもあなたのことが兄のわたしの脳裏を占拠してしまう。あれこれあれこれ考える。あなやがここにいなくなってやっと僕はあなたをさみしがっている。それまではいい加減にあしらっていたくせに、いまは濃密だ。情がこまやかだ。あなたに染み込んでいく。
親しい者の死でもってやっとこさここへ来ている。死なない前にこまやかであるべきだったのだ。愛情が濃密であるべきだったのだ。それを延ばし延ばししてここまで延ばしてきてやっとこうだ。遅いんだ。
どう死ぬか。死んで何処へ行くのか。死なない以前をどう生きるべきか。往生は死のときにしかできないことなのか。成仏をするとはどういうことなのか。成仏をしてその後をどうするのか。兄と弟とはどうあるべきだったのか。どんな愛情で結ばれていたのか。その本来の姿へ立ち戻されている。それをあなたの死を契機にして考えている。やっとだ。いのちを薄っぺらに薄っぺらに磨り減らして過ごして来たことを、悔いさせられる。
あなたの死は鏡だったのか。後に残った者のいのちの生き方を映し出す鏡だったのか。死を以てそれを提供してくれたのか。どう生きるべきか。わたしたち遺された者がいのちをおろそかにして暮らすことをあなたがこうやって防いだのか。
あなたを悲しんでいる。それまでそんなことはなかったのだ。平気の平左だったのだ。あなたがいようといまいと無関係のようにして、冷淡でいたのだ。それがいまは悲しみだ。あなたを思って思っている。不思議なことだ。やっとふたりは兄になって弟になっている。
「いよっ!」あなたは玄関を開けて入って来るときにいつもそうやっていた。手にはピースのサインが出ていた。「おるかあ?」その声は台所まで上がってきてから聞こえていた。あなたの生まれたところ、つまり兄の家がいつまでも懐かしい故郷のようだった。