<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ここにいる間はここの判断が絶対価値

2015年11月14日 20時15分33秒 | Weblog

そんなものが楽しいのですか。そんなものが悲しいのですか。不審がられる。あの世から見るとそうなる。この世からもそうなる。この世にいる間はこの世の価値基準が絶対。この世のそれであの世を断定はできない。悲しみはあくまでこの世の悲しみであって、楽しみも同様である。住む世界を異にしているので、推論でしか判断ができないのである。だから、相手に押し付けはできない。わたしがこんなにも悲しんでいるのにあなたはそうでない、などと責めることはできない。

 

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兄さん、まだそんなものを食しているんですか?

2015年11月14日 20時03分57秒 | Weblog

と弟にからかわれるかもしれない。わたしはもうそんなところにはいません。どんどん進化しています。なにもかも新しいのです。それがどれもこれも素晴しいのです。今いる星では、地球時代の比ではないのです。などという返答が返って来るのかもしれないけど。さぶろうは、ともかく、それが美味いだろうと思って、今夜は毛蟹を分け合って食べ、酒を分け合った。

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酒を喰らった いつもの倍の量を

2015年11月14日 19時52分33秒 | Weblog

おいしい毛蟹のせいだ。弟にもお猪口を用意した。お皿も用意した。これに毛蟹の脚を乗せた。毛むくじゃらの。乾杯もした。最後は弟のお猪口の酒も平らげた。おいと弟を呼ぶ。どうだ、うまかったろうと聞いてみる。この世の肉体を死んでいるから、飲めたかどうか。喰えたかどうか。

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毛蟹

2015年11月14日 17時42分15秒 | Weblog

死んだ弟が、死ぬ前に何度か食べたい食べたいと口癖のように言っていた毛蟹(川蟹)が駅前の魚屋さんに売ってあった。料理済みのが。でかい。鹿児島県産らしい。魚屋の大将は「鹿児島辺りではこの川蟹は食べる習慣がないらしいのですよ」と説明をした。当県では食べる習慣がある。酒が飲めない父はこれが大好きだった。それがわれわれ兄弟にも伝わっているらしい。でも、びっくりするように高価だった。今夜はこれを食する。弟を思って。お皿にでかい足をのせてあげよう。そして日本酒もお猪口(ちょこ)に注いであげよう。

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教え子の2人がやって来た

2015年11月14日 16時30分16秒 | Weblog

サイクリングに出掛けた。雨が降っていないのを確かめて。200mも行かないところで、車に遭遇した。窓が開いて「あら、先生」の声がして、2人が下りてきた。教員に成り立ての1年目に教科担任をした孝子さんと節子さんだった。ちょうど我が家を訪ねてくる途中だったらしい。もう少しで小径に入るところだった。あやうくも擦れ違わないですんだ。それでUターンをした。我が家に上がってもらった。話が弾んだ。何年も会っていない。名前も忘れてしまっているので、メモ用紙に自己紹介をしてもらった。これで恥を掻かないで無事おさまった。さぶろうよりも6歳若い。日頃フィットネスクラブに行って体操をしているらしく、年齢よりも10歳は若く見えた。さぶろうは年賀状も書いていない。誰にも書いていない。書いている頃には裏面にクレヨン水彩を描いていた。それを何年分も大事にとってあるという。それで「わたしたちは学生の頃からずっとさぶろう先生の大ファンです。いまも変わりません。今年は水彩画入りの年賀状を下さい」と頼まれてしまった。前置きがついていても、書く気はないので、約束はしなかった。二人は小一時間もいて帰って行った。「先生がお元気でおられてよかった。仲間に伝えますよ。またお伺いします」と何度も言い言いしながら。

 

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隼人瓜の酒粕漬けの試し喰い

2015年11月14日 16時06分13秒 | Weblog

隼人瓜の酒粕漬けを、ためしに、引き上げてみた。もちろんまだ熟成には速すぎるが、それでもいけた。朝ご飯の白ご飯に、薄く切ったものを載せて食べた。乙な味だ。で、人様にも試食してもらうことにした。あの方にもこの方にもと、売れ行き順調だ。といってももちろん無料配布なんだけど。27個の隼人瓜を縦割り半分にして(つまり54片)粗目(ざらめ)砂糖と酒粕と焼酎を加えて大きな樽に漬け込んである。この勢いだとすぐに樽は、完成を見る前に、空になってしまいそうだ。それで欲張って次のを漬けることにした。午前中に小屋の屋根に梯子をかけて、ここまで蔓を伸ばして実をつけている瓜を次々と収穫した。合計62個にもなった。体重計に乗せて量ってみたら、1個の重さが約5kgあった。午後になってこれを半分の30個ほど手洗いした。乾いたらさっそくこれを半分に割いて、中の種を掻きだし、塩漬けの準備にかかろう。おお、忙しい。

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畑のフカネギを掘り上げてみた スコップで

2015年11月14日 15時49分52秒 | Weblog

小雨が降っているというのに。えっこらえっこら。スコップを使って西の畑のフカネギを一部掘り上げてみた。ちょっと生育の状態が芳しくないようだ。白い根株はほっそりしているし、地上の葉は弱々しく垂れている。何がどうよくなかったのだろう。肥料がうまく合わなかったのかもしれない。南の畑のは順調に育っているようだ。こちらのは葉がぴんと突っ立っていて丸く肥えている。今夜はこのフカネギ料理をしてもらうとしよう。外の流し台に運んで来て、土を落とし、じゃぶじゃぶ水道水で何度も洗った。それにしても、一度の料理用にしては、あまりにもたくさんになってしまった。どうしよう。小雨が上着を濡らしてしまって寒くてクシャミを連発した。風邪を引かないといいのだが。

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ボデイラインがはっきり見えるセクシイレデイを見た

2015年11月14日 07時32分28秒 | Weblog

神戸市内循環バスに乗って海の六甲アイランドタワーのところまでやって来たときのこと。バス停の待合ベンチに素敵な若い女性が座っていた。やや赤い髪が長く背中に届いている。度の薄いサングラスを空かしてきれいな眼が見える。色白だ。鼠色のワンピースは柔らかい襞を見せてボデイラインを浮き立たせている。胸の小高い丘も眼に入る。膝のところから下には黒いロングソックスが履かれている。実にセクシイだった。このレデイがバスに乗り込んできた。さぶろうの反対側の席に座った。さぶろうは途端に胸騒ぎがし出した。だらしない男だ。もう一度じっくり見てみたいが、色狂いの老人を警戒されてしまいそうだ。3つ目のバス停で彼女は下車して行き、街中の雑踏に吸いこまれて行った。ほんの一瞬だったがボデイラインがはっきり見て取れた。彼女を待っている男性とはいったいどういう男性なのだろうか。想像をしてみた。もちろん彼女とのバランスが取れたスタイリストの男性だろう。映画俳優のような二枚目だろう。二人は出会って満面の笑みを浮かべる。手を取って歩き出す。背中に揺れている長い髪に風が触れている。会話が二人をさらに嬉しく弾ませて行く。このシーンに登場する男性が、なんだかとてつもなく幸福な男、幸運な人間に思われてきた。バスは何事もなく一巡した。さぶろうはひとり異人館前で下りて、やや勾配のきつい坂道を歩き出した。

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やっと明るくなって来た

2015年11月14日 07時21分46秒 | Weblog

暗い夜が明けた。空がうっすら明るくなって来た。小鳥がひいひいひいと鳴きだして来た。ベランダに鉢植えしている木立ベゴニアの花の色が朱色をしていることが読み取れるほどになった。明るくなって来るのは嬉しいことだ。もしも、1時間2時間ほどでもこれが遅れたら? 不安が募るであろう。夜の後には朝が来ることが当然になっているが、これがたまさか狂い出すことがあったら? 動物、植物、林、森、山、海、鳥、魚、昆虫類を含めて、われわれは居ても立ってもいられなくなるに違いない。明るさは安心の色。こうやって毎朝確実に安心を届けてくれている朝の光を、あらためて拝みたくなってきた。

 

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恐い夢の後には抱き合う夢

2015年11月14日 07時02分36秒 | Weblog

恐い夢を見た。ハアハア荒い息づかいをして目が覚めた。午前2時だった。木に登っているが、ライオンが登って来る。長い棒の先端に松明のような火を燃やしているのだが、ライオンはそれを恐れずに這い上ってくる。とうとうわが足や腰や腹が食べられてしまった。どうしようどうしよう、というところでこの夢スクリーンが閉じた。顔面蒼白。このまま再び目を閉じたら、夢の続きを見せられそうで、抵抗を試みた。抵抗できずに入眠してしまった。すると今度は夢映画の内容は一変して、教え子たちとの再会シーンになった。みな男の子だ。もう30歳を超えている顔だ。彼らが多数やって来て右手や左手に飛び込んできて、抱き合ってよろこんだ。痩せてほっそりしているのもいたし、奥さんらしいのを連れているのもいた。互の無事が確認できて嬉しい嬉しいになった。そこに緊急地震速報だった。携帯がぶるんぶるん震えだして跳ね起きた。こうやって寝ている間も、こうやってわが意識ワールドに夢を見させているのは誰だろう? 自分自身? 仏教の説く阿羅耶識? それとも夢配信無料霊界娯楽テレビ局? いずれにせよ恐いのはごめんだな。

 

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