<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

スポーツ音痴が興奮

2015年11月17日 19時15分32秒 | Weblog

フィギャースケートGPシリーズ第2戦カナダ大会男子フリーに出場している日本代表村上大介選手の滑りを見ています。テレビで。完璧に近い演技だと解説者が解説をしています。得点が出ました。堂々の3位。2位は羽生結弦選手。日本選手が大活躍です。1位は地元カナダのパトリック・チャン選手だった。スポーツ音痴のさぶろうがスポーツを見て興奮を隠しきれません。これから女子の部。浅田真央選手が注目のショートプログラムに挑みます。トリプルアクセルがさっそく決まりました。

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豪栄道の気合いが勝る

2015年11月17日 18時57分17秒 | Weblog

でも、結びの一番で、角番を迎えていた大関豪栄道が横綱鶴竜をまたたくまに一蹴したので、さぶろうは大いに気分を持ち直した。大関の気合いが横綱の其れを凌駕していた。敏捷だった。豪栄道はこれで6勝4敗となった。谷川にひっかかって流れないでいた枯れ葉の一群が一気にすっと流れていったかのような、胸の空く爽やかさを味わった。国技の相撲道かくあれかし。

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稀勢の里が2敗目

2015年11月17日 17時35分52秒 | Weblog

大関稀勢の里が伏兵豊ノ島に敗れた。これで2敗目。ここまでは全勝の白鵬を1差でぴったり追いかけて来たのに。優勝戦線から一歩後退した。10日目まで来て、今場所もまた憑きに見放されてしまったようだ。がっかりだ。

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雨の日の温泉

2015年11月17日 16時20分35秒 | Weblog

一日ずっと雨降り止まず。帰る途中、車を出てスーパーに駆け込む間に雨に濡れて、寒い。ハクション、ハクション。おいしそうで、ついつい生の牡蠣を二袋買ってしまった。今夜の酒の肴ができた。摺り大根を山のように盛り、キノス醤油をたっぷりかけて、味わうことにしよう。武雄温泉は市街地からちょおと離れたところに建つホテル・ハートピア武雄の湯に入った。湯船も湯殿も広々としていたし、湯の温度も熱く、体がすぐに火照った。長くは入れなかった。湯の中では、彼が原書で読んでいる英文学の小説の話になった。さぶろうはこの小説を読んでいなかったので聞くだけになった。昼食もここのレストランで食べた。友人と一緒に天麩羅付きうどんセットを頼んだ。たまたまツワーバスの観光客といっしょになって、会場が賑わった。友人を自宅まで送った。彼が種から育てたブロッコリーの苗、まだ2~3cmほどのを10株ほど頂いた。走行距離が往復100kmになった。

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じゃ、ということになった

2015年11月17日 09時51分38秒 | Weblog

さっき、友人から電話が来る。雨の挨拶から始まって、互いに暇を確認する。互いに何もすることがない。じゃ、ということになる。武雄温泉につかることになる。両者、そんなことしか思いつかない。これからそちらに行く。土産に隼人瓜の酒粕漬けを持参することにした。それと発芽したスナック豌豆のポットをプレゼントする。暇潰しの相手は同年齢の同性。美しい匂いのする珠子じゃなくて残念だけど。

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裸体は半透明体

2015年11月17日 09時35分41秒 | Weblog

珠子を連れ出して来る。珠子は幽かな霊体。見えているかと思うと見えなくなってしまう。裸体は半透明体。別世界からだからこうなるのはいたしかたがない。触れてみる。触れるとそこが白い肌になる。抱いてみる。抱くとそこが肩になり背中になる。髪に薔薇の匂いがする。でも、手を離すと肩も背中も髪も、泡の粒になって消えてしまう。消えてしまう瞬間に、一度大写しになって虚空に広がり、美しさが極まって来る。

 

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ゆうらゆうら時を揺らして遊ぶ

2015年11月17日 09時04分07秒 | Weblog

何をして遊ぼう。誰と遊ぼう。何処で遊ぼう。

遊ぶ。とにかく、遊ぶ。

働かないで、遊ぶ。人のためにならないで遊ぶ。お金のためではなくて遊ぶ。褒められるためでもなく敬われるためにでもなく。何かのためにするのではなく、ただ遊ぶ。

遊んでいれば忘れられる。悲しみが忘れられる。苦しみが忘れられる。忘れようと努力をしないで忘れられる。これならいい。

悲しみも忘れられるが、その対極のよろこびも忘れられる。AもBもCも忘れられるとそこには天空虚空が広がって来る。広々として来る。そこがいい。

天空虚空には力がある。力が漲っている。なんにもないのではなくて、むしろなんでもある。あろうとしてもいない。そこがまたいい。

そこで遊ぶ。雲と遊ぶ。雲のブランコをして遊ぶ。ゆうらゆうら時を揺らして遊ぶ。日が暮れたら、銀河を揺らして遊ぶ。

遊んでいるのは誰? 遊んでいるのはさぶろう。さぶろうの精と神とエモーション。

どれもかるがろとしている。気のボールのようにやわらかくしている。光になってふっくらあたたまっている。

10

おおい。おおい。おおい。呼んでいる声がするのでこれにこたえる。声が誰の声なのかわからないが、誘われてみる。ススキの野原の先には櫨紅葉の丘。しばらく耳を澄ます。「兄さん、僕だよ」と聞こえて来た。

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仏さまの活動範囲は三千大千世界

2015年11月17日 07時57分34秒 | Weblog

仏さまのなさる活動の範囲は、この娑婆世界だけではない。十方世界である。三千大千世界が一仏のテリトリーである。だから、弟仏さまが、兄人間のところのみに慰留しているはずはない。三千大千世界は広い。たとえば、天人界から地獄界までだって広すぎるくらい広い。しかもそのどの界にもさまざまな主張を持つ国々が連立している。100や1000位の数ではない。その100乗、1000乗の世界がひしめき合っているのである。そこを縦横無尽に飛び回って救済活動を展開して行く。超人的だ。(あ、もう人ではなかった、超仏的とすべきか)

三千大千世界とは?

仏教用語。須弥山を中心に、日・月・四天下・四王天・三十三天・夜摩天・兜率天・楽変化天・他化自在天・梵世天などを含んだものを一世界とし、これを千個合わせたものを小千世界、それをまた千個合わせたものを中千世界、それをまた千個合わせたものを大千世界、もしくは三千大千世界という。これが一仏の教化活動範囲である。成仏すればこの仕事がまかされる。

いやあ、よくよく仏の智慧を頂き、大悲のこころ、慈愛のエネルギーを貯えてかからなければ、すぐに疲労困憊してしまいそう。尻尾を巻いてリターンしてしまいそうだね。俗人のさぶろうはすぐにそんなことを思ってしまうから、成仏はまだまだずっとずっと先になりそうだ。

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仏さまはじっとしてはいられない 大活動をしている

2015年11月17日 07時07分23秒 | Weblog

雨。今日は雨。雨が降っている。植物群にとっては恵みの雨に違いない。隣の家の屋根瓦が黒々としっとり濡れている。冬の鳥が梢に止まって高い声を出して鳴いている。することがなくなった。外に出ていけない。農作業はできない。

我が家の仏壇には弟の遺影が置かれている。弟の家族が持ち運んで来たものらしい。背景がコスモス園。元気いっぱいの頃の写真で、75キロの体重がきりきりと健康美を誇っている。

ご飯が炊きあがったのでその初めのご飯をご仏飯にして小さな器に盛り、仏壇の最上段に献上した。「おいしいご飯ができあがりました。ありがとうございます。みなさまもお召し上がり下さい」と言って仏さま方にお供えするのである。

弟も、肉体の死と引き替えに、成仏を果たしたので、もちろん仏さまである。仏さまの位に位置している。だから、弟ではなく、弟仏さまである。弟君とは呼べない。「弟仏さま、お召し上がり下さい」と話しかける。

しかし、仏に成ったら、遺影になって仏壇の片隅に鎮座しているわけではない。仏に成るとはどういうことか。利己を離れて利他ができるようになったということである。衆生の救済者になったということである。そういう理解をしている。だから、己を安心させているというところにとどまってはいない。利他のための神通力を賜って、活動の輪を大きく大きく広げているはずである。スーパーマンのようにあちらこちらへ飛び回って大活躍をしているはずである。

仏の国へ行ってしまってそこに往生していれば、しかし、こちら側の住民の救済はかなわない。そこで、我が身の極楽往生は決め込まずに、菩薩行をすることになる。これが還相廻向(げんそうえこう)の考え方である。この苦界へ舞い戻ってきて、衆生のヘルプミーのサインを聞いて急行するのである。

だから、忙しいのだ。活動する仏さまは忙しいのだ。ゆっくりお仏飯さんなんか食べている閑などはないのだった。あんなに恋い焦がれた極楽往生、往生成仏がフイになってしまうのはなんとも可哀想であるが、仏さまに進級すれば、そんな利己の願望は立ち消える。願望の種類も中身も違ってくるのである。

「まあまあ、雨は降っているし、ご飯くらいはゆっくりお食べくださいね。それもほんの小さな器に盛っただけだから。いいでしょ。ゆっくりしてていいでしょ、たまには」などとさもさも未だ人間をしているかのように思って話しかける。

仏さまはもはや非物質であるから、肉体を養うための食糧は不用になっている。霊体(すぐれた体積を持つ存在 霊は「すぐれた」の形容詞)の食糧は利他の実践のみである。救済の実践に与った人のよろこびの声のみである。こちら側を生きている者の考えをはるかに逸脱しているのだ。

10

そんなことこんなことを考えてしまった。雨が破れた雨樋から落ちて来る音がしている。雨音がリズミカルで高い。いまだ仏には成らずに苦界を住み処としているこの兄者(あにじゃ)は、肉体を持つ。故に腹が減った。さて、台所へ行ってゆっくり朝ご飯を食べるとしよう。

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