<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わが夜長の対処法

2015年11月22日 19時04分26秒 | Weblog

日暮れが早い。暗くなる。すると、手先が見えなくなる。これだと、外に居るのを切り上げねばならない。玄関に錠を下ろすのが早くなる。入浴が早くなる。夕食が早くなる。後片付けが早くなる。7時でもうすることがなくなっている。あとはぼんやりしておくか、布団を延べて寝るかしかない。田舎にはどんな娯楽もない。テレビを見たらいいようなものだが、どれも老人が楽しめるような番組ではなさそうに思えて、電源をオンにすることもしない。することがないと、睡魔に襲われてくる。だが、夜は長い。8時に布団に滑り込んだとしても明け方の6時までにはおおよそ10時間がある。一日の半分に近い。これだけの長時間、とても寝てばかりではいられない。夜を過ごす工夫が要ることになる。これが厄介だ。枕元にはあれこれがずらりと列ぶ。読書用の本や雑誌類が5、6冊。メモ用紙と鉛筆。電子辞書、ノートパソコン。ラジオ深夜便を聞くためのラジオ。テレビのリモコン、部屋の電灯のリモコン、エアコンのリモコン、飲み薬、ペットボトル、蜜柑、キャラメル、タオル、ちり紙・・・。目が覚めてひとりごそごそごそごそしている。決まってほぼ3時間ごとのトイレ通いが定番だが、その他にヨガ体操をしてみたり、気功をしてみたり、瞑想をしていたり、読経をしてみたり、メールを打ったり。いやはや、日暮れが早く夜が長いのは実にもって面倒なことである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日が無事息災に過ごせた

2015年11月22日 18時47分46秒 | Weblog

一日を無事息災に暮らした。有り難い。夕食前に入浴。湯船の中で手を合わせてともに過ごしてくれたものにお礼を述べた。「からださん有り難う、こころさん有り難う、たましいさん有り難う、お命さん有り難う」から始まってさらにさらにさらに有り難うが続いた。有り難うを言うべき対象が次々に浮かんできてそれを名にしてお礼を述べた。切りがないほどに、やたら滅多等に名が浮かんだ。「空さん有り難う、雲さん有り難う、山さん有り難う、土さん有り難う、空気さん有り難う、家さん有り難う・・・」「手さん有り難う、足さん有り難う、口さん有り難う、眼さん有り難う・・・」という具合に。どれもこれもがこの日をともにしてくれたようで、切り捨てがなかなか難しかった。長風呂になってしまって、指の皮膚がふやけて皺になっていた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪女おゆきさん

2015年11月22日 09時10分32秒 | Weblog

ああお雪さんだ。彼女は雪女。貧しい樵夫のところへやって来てやがて妻になってくれる人。美しい人。雪のように白い人。冷たい肌を樵夫の肌であたためてやらねばならない。そうしてあげてふたりには子が授かった。

冬が襲いかかって粉雪が舞い、春が羽毛布団を着て来てすんなり氷が解けて、幸福が何年か経巡った。あの日の夜のこと、二人が初めて出会った夜のこと、女と男の夜の秘密を、男が一人の胸の内に隠しておけなくなって人に語ってしまう。

情けを纏って女に化身した自然界の雪の、その愛交合の秘密は人に知られてはならないことだったのに。約束を破ってしまった樵夫はとうとう雪原の凍土になってしまう。こうしてふたたび、あたたかい情愛が通じない冷たい世界へ二人とも戻って行ってしまう。その片時の交情のドラマが切なく美しい季節が近い。ああお雪さんだ。ネットの中の雪片。

おんなの人に化身してまで交情をしたかったその相手の、貧しい樵夫の役を、同じく貧しいというだけでさぶろうが演じることはできない。とてもとても。非情化身をそっくり受け入れるほどの美しい純情はさぶろうにはない。

ドラマを生きていた方がいいのかもしれない。ドラマを、それが単なる作り事のドラマとして脇に下がって楽しんでいる観客でいるよりも、ドラマを生きていた方がいいのかも知れない。肉体の生身の人間を生きて、それで生きているという実感を掴めないのなら、雪の降る夜の、人間界と自然界の交合の秘密にまで駆け込んで行ってしまうのがいいのかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒヨドリ来る

2015年11月22日 08時52分38秒 | Weblog

ヒヨは冬の鳥だ。枯れ木に来て鳴き立てるとああ冬が来たのだなと思う。鳴き方も「ヒーヨヒヨヒーヨヒヨだよ、ヒーヨヒヨしてやって来たよ」と聞こえる。なるほど羽根の振り方もヒョロリヒョロリだ。目白を飼っているとき目白籠を外に出して鳴き音を聞いて楽しんでいるといつのまにかヒヨが来て籠の外から中の目白を威嚇していた。脅して殺してしまう百舌鳥ほどではなかったけれど。去年までは庭に金柑の木があってこれを目当てに降りてきていたが、金柑の木があっけなく枯れてしまってもう柑橘類はここには探せない。来ないかと思っていたらやってきて、いつものように古梅の枝に蜜柑を半分に切ってたくさんたくさん挿してくれよとねだっている。求めに応じてそうしてあげようと思う。なにせ、さぶろう相手に尋ねてきてくれる者は他には誰一人いないのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名横綱北の湖を惜しむ

2015年11月22日 08時33分17秒 | Weblog

「冬則龍潜 夏則鳳挙」立て行司さんの手に持つ軍配の裏と表に書き連ねられている句だそうだ。今朝の新聞のコラム欄にあった。「冬来たれば則ち龍は海に潜み、夏来たれば則ち鳳となって空に挙がる」と読める。先日62才で夭折した名横綱北の湖、現相撲協会理事長を龍と鳳に喩えてあった。13才で入門、史上最年少の21才で堂々たる横綱を張った人だ。優勝歴24回。横綱在位史上1位。不敵な面構えをして憎たらしいほどの強さだった。前日まで九州場所の公務をしていたのに、翌日にはさらりと涅槃寂静の賜杯を獲得してしまった。惜しい日本人の一人を失った。彼を惜しむ。相撲道にちっとも詳しくはないけれど、訃報を知ってすなわち彼を惜しむ。彼は潜んだ龍として鍛錬し、鳳として豪華な技を土俵に舞わせた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さぶろうの努力はいらない

2015年11月22日 07時25分06秒 | Weblog

見せて見せて見せてもらう。聞かせて聞かせて聞かせてもらう。嗅がせて嗅がせて嗅がせてもらう。触れさせて触れさせて触れさせてもらう。味わわせて味わわせて味わわせてもらう。

みんなただオートマテイカルに。だからさぶろうの努力は要らない。

だから、さぶろうがそれを自慢することではない。ただ賞めて褒めて褒めているだけでいい。うっとりしているだけでいい。

ことさらにそれをリトールドすることもない。繰り返してみせることもない。なぜなら、それはいつも次々に次を見せてくれるから。次を聞かせてくれるから。

さぶろうの自己表現の賢者能力がいかに低く劣っていてもそれを咎め立てするような傲慢は相手にはさらさらなかった。

春花春秋が向こうからさぶろうの方へやってきて次から次へと抱きとめて、おのずからにしておいおい楽しませてくれるのだった。

いまは大根がおいしくなった。土から抜いておでんふうに煮込んでほくほくあたたまった。木の幹に這う蔦モミジが赤い。目白が里へ降りて来て、長鳴きして聞かせる。自転車で通り過ぎて行く女学生の髪の匂いが、瞬間、小川のように流れて行く。丘に立って高く手をのばすと、老いを迎えているさぶろうの肌が、今日の新しい風と空と仏陀に触れる。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする