岡の上の千畳閣に「天壌無窮」の古い額を見た。力強い墨書だった。窮まりなし。ここが気に入った。厳厳島
庭園の紅葉が赤く映えている。寺のご本尊は薬師如来。お堂に上った。弥勒菩薩、子安観音、水子地蔵が安置されていた。ゆっくりした。これから広島の厳島神社へ向う。腹ごしらえにアンパンをかじる。
とても仏教を学んでいる者の暮し方ではない。ほど遠い。仏教の実践者ではない。さぶろうは実に頑な人間である。ぎこちない人間である。ぶっきらぼうでとげとげしい。丸みがない。人をしんから愛せない。表面すらも愛せない。我が儘を通しているきり。70年生きてここまでなのだ。ざまはない。
旅について来ようとはしない。泊り客は大概二人だ。カップルだ。夕食は独り。酒を飲むのも独り。仲のいい様子を羨ましく見ているしかない。すべてさぶろうが種蒔きをしているから、人を恨むことはできない責めることはできない。妻にも愛想を尽かされた男である。夫らしいこともしていないから、当然だろう。この10年、やさしく手を握ったこともない。握られたこともない。肩を抱いたこともない。
真っ暗。窓の外は。6時にならないと湯殿には行けない。しばらくある。読書に当てよう。それにしても自分は我が儘だ。人と合わせて行けない。人もそうだ。こんな人間には合わせられない。じゃどうなるか。独りでいるしかない。その方が家族もよろこぶ。尖っているのがいなくなれば、その間はほっとできる。旅はその役目もする。一人は寂しいが、これは自業自得というものだ。耐えるしかない。雨の音がしない。あがったのかな。今日は広島まで行く。