松浦河月あかくして人の世のかなしみさへも隠さふべしや 斎藤茂吉
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佐賀県唐津市の舞鶴公園内にこの歌碑がある。この歌は大正9年の歌集「しもづゆ」にある。松浦は「まつら」とも呼ぶ。
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唐津湾に松浦川が流れ込んでいる。河口近くは嘗てボートレースも開催されていたほどに広い。ゆったり流れている。この松浦川河口に今夜は赤い月が出て映えている。あたたかくあかあかとしている。波がこれをさらさらに押して揺らす。人の世に暮らす人には悲しみがある。悲しみを怺えて人は暮らしている。怺えているけれども溢れ出そうとすることがある。涙になることがある。あんまりあかあかとしているので人の世に悲しみがありこれを怺えつつ生きている人が居ることをも隠してしまいそうである。月に意思があるのか、できるならそうしてあげたいとでも言うように、今夜の月は赤く明るく川面を照らしている。
この歌は情が濃い。この濃さは月の淡い光によって薄められている。赤いといっても紅ではない。うっすらと明るい赤である。
初めてこの歌に接したときわたしは涙目の赤さを思った。月が涙目をしているのを連想した。この涙は人の世の人の悲しみを目撃した後の涙だとすればうなづける。
自然界のものはこうして人の暮らしに現れて来てことごとに癒やしの光を投げてきた。これでどれだけの人が悲しみの淵に身を投げずにすんだことか。悲しみの泥は時を経て澄み渡って行くことができる。静かになって諦観になる。