<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしの短歌鑑賞 その3 茂吉の歌碑

2016年11月01日 20時18分58秒 | Weblog

松浦河月あかくして人の世のかなしみさへも隠さふべしや     斎藤茂吉

佐賀県唐津市の舞鶴公園内にこの歌碑がある。この歌は大正9年の歌集「しもづゆ」にある。松浦は「まつら」とも呼ぶ。

唐津湾に松浦川が流れ込んでいる。河口近くは嘗てボートレースも開催されていたほどに広い。ゆったり流れている。この松浦川河口に今夜は赤い月が出て映えている。あたたかくあかあかとしている。波がこれをさらさらに押して揺らす。人の世に暮らす人には悲しみがある。悲しみを怺えて人は暮らしている。怺えているけれども溢れ出そうとすることがある。涙になることがある。あんまりあかあかとしているので人の世に悲しみがありこれを怺えつつ生きている人が居ることをも隠してしまいそうである。月に意思があるのか、できるならそうしてあげたいとでも言うように、今夜の月は赤く明るく川面を照らしている。

この歌は情が濃い。この濃さは月の淡い光によって薄められている。赤いといっても紅ではない。うっすらと明るい赤である。

初めてこの歌に接したときわたしは涙目の赤さを思った。月が涙目をしているのを連想した。この涙は人の世の人の悲しみを目撃した後の涙だとすればうなづける。

自然界のものはこうして人の暮らしに現れて来てことごとに癒やしの光を投げてきた。これでどれだけの人が悲しみの淵に身を投げずにすんだことか。悲しみの泥は時を経て澄み渡って行くことができる。静かになって諦観になる。

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わたしの短歌鑑賞 その2 茂吉の歌碑より

2016年11月01日 18時37分00秒 | Weblog

祐徳院稲荷にも吾等まうでたり遠く旅来しことを語りて       斎藤茂吉

この歌碑が祐徳稲荷神社の外苑東山つつじ園に建っているらしいが、わたしはまだ見ていない。これは我が佐賀県の鹿島市にある。日本三大稲荷の一つである。それだけのことはあって、古色ゆかしく壮麗である。

わたしはこの背景を知らない。吾等が誰だったのか。何処から遠く旅をしてきたのか。出典は大正9年の「つゆじも」とある。

初句二句が68で字余りになっている。この作品はただの記録だけのようでもある。だからどうだという感慨のようなものは、「遠く」くらいだろうか。作品が濃すぎないところがいいのかもしれない。

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わたしの短歌鑑賞 茂吉を読む

2016年11月01日 14時50分47秒 | Weblog

おのづから寂しくもあるかゆふぐれて雲は大きく谿に沈みぬ      斎藤茂吉

この歌碑は神奈川県箱根町強羅公園と福岡市の文学碑公園に建っている。スケールの大きい風景画が目に見えるが、叙景描写だけではない。むしろ叙情歌である。

雲が山々の間の谿に沈んで行った、大きく雲全体でまとまったようにして、広大な谷間に大きく轟沈していった。というのであるが、雲自体に寂しさはない。寂しいから沈んだのではない。夕暮れになったから沈んだのである。

スタートの「おのずから」の副詞はラストの「沈みぬ」に掛かっている、そういうふうに僕は読んでみた。それが当然であるかの如くに自ずからしずしずと沈んで行った夕暮れの雲。「寂しくもあるか」は作者の感情移入である。

作者は「わたしと同じように寂しいからだろうか」と推量しているが、その寂しさが雲の場合は豪快である。大きいのである。山全体谿全体を巻き込んでいる。それでいよいよわたしはやりきれなくなって感情が爆発してしまったのである。雲は谿に沈んだらそれで寂しさが消滅したのだろうか、疑問が残る。作者はこの歌をものして消滅したのである。昇華されたのである。

夕暮れが来るとひとりでに寂しくなる。これは多くの人が体験するだろう。「雲の場合はしかし谿に沈んで解決を見る」のに「人間のわたしの場合はどうだ」という払拭できない情念を突きつけているのかもしれない、或いは。

人の場合は夕暮れて来ればおのづから寂しくもなって来るものだが、さて、雲の場合はそれはどうかと観察してみると、雲は個の寂しさを抜け出して大きく迂回するようにして谿に沈んで行ったというふうに解釈も出来そうだ。575まではわたしのこころを歌っておいて、77でくるりと転回して雲に代弁をさせてみせたのかもしれない。

寂しい。老いてくると余計寂しい。夕暮れどきだけが寂しいのではない。朝も寂しい、昼も寂しい、夜寝床に入った後も寂しい。

ゆうぐれを寂しくをれば大きくも雲は茜に染まり微笑す     釈 応帰

歌を歌えば寂しさが癒えるのなら、わたしも歌を歌ってみよう。

 

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ほとほとにぬるい出で湯の中の熱い情け

2016年11月01日 13時29分51秒 | Weblog

ほとほとにぬるき温泉(いでゆ)を浴むるまも君が情けを忘れておもへや    斎藤茂吉

大正年間に茂吉は佐賀県の古湯温泉に逗留している。病を癒すために3週間ほど。勤務先の長崎からここへやって来た。この間38首が誕生したようだ。上記の歌碑が川上川(嘉瀬川上流)の岸辺のかじか公園に建っている。歌碑はまだ新しい。君とは誰のことだったのだろう。誰だっていいのだろう。情けを掛け合っている人、おんなの人に違いない。古湯温泉はぬる湯である。熱い湯も湧き出ているが。作者はその湯の温度もほどほど(ほとほと)くらいだと表現している。ぬる湯だと長くのんびり浸かっておられる。効能書きには、何処も似たり寄ったりだろうが、ここも神経痛、関節炎、胃腸病などと記されている。茂吉はその他の病だったようだが、転地療養、体力回復には変わりない。茂吉は西洋医学のお医者さんだから、実際そこのところがどうだったかは分からない。筆者は2泊したが、入浴者の中には毎日通い詰めている人も居た。西洋医学では治らないとされていても、ここへ来ると不思議なことが起こるらしい。さて、茂吉にはこころに思う人が居る。双方交通の情けの遣り取りだったのかもしれない。あくまで想像だが、歌はそこはそうだともそうではないとも言わない。しかし、湯を浴びる間でさへも忘れたことがなく思い続けているとすれば、情交はしたたかである。「忘れておもへや」を筆者は正確に理解していないが、湯のぬるさと、情けの熱さが交錯していて歌に厚みを増しているようだ。

情けある人をしもへば山の湯のぬる湯ほとほと沸くべくありき    釈 応帰

筆者も一首をものしたくなったが、どうも理屈っぽくていけない。

いやいや、筆者には思い人などはいなかった。情けを掛け合う間柄を持たなかった。茂吉の歌でこのあたりの情趣を代用するのがベストのようだ。

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