我を待つ人いづくにかあらまほし 靴音秋の街を曲がれり 釈 応帰
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わたしを待っていたという人が何処かにはいるはずではないか。時はノスタルジーの秋。靴音が響いてきてそれが町の角を曲がったようだ。誰かがわたしへ近づいてくる。
我を待つ人いづくにかあらまほし 靴音秋の街を曲がれり 釈 応帰
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わたしを待っていたという人が何処かにはいるはずではないか。時はノスタルジーの秋。靴音が響いてきてそれが町の角を曲がったようだ。誰かがわたしへ近づいてくる。
大分県中津市八面山に神護寺がある。近くに平和公園がある。ここに横臥した釈迦如来の涅槃像がある。石像で全身の長さは7・8m。高さは1・4m。初代住持が彫った像らしい。ネットでこれを知った。お会いしたい。是非ともお近くに行って親しくご尊顔を拝したい。近々実行に移したい。ここは九州八十八ヶ所の21番札所になっている。五大力明王像も見られるようだ。中津市の三光田口が住所である。車を運転して3時間~4時間は掛かりそうだ。もっとかかるかもしれない。何処をどう行けばいいのだろう。近くには小規模の西谷温泉、若山温泉もあるようだ。安く宿泊できるところが見つかればゆっくりしたい。いまのところそういう安い宿は見つかっていない。ゲストハウスで調べてみようか。弁当を買って夕食とすればいいのだし。もちろん一人で行く。野晒しの石造り涅槃像を一日ゆっくり見て見たいという僕の主張に同意してくれそうな友人を僕は持っていない、残念ながら。往き道帰り道が淋しいけれど、釈迦牟尼世尊にお会いできるなら忍の一字だ。仏像はあくまでも縁(よすが)である。方便である。方便であるけれどもそれ以上の方策を僕は知らない。瞑想という策があるけれど、目で見て手に触るという視覚・触覚の援助があればかけ離れている距離がより縮まるだろう。
長崎の昼しずかなる唐寺や思いいづれば白きさるすべりの花 斎藤茂吉
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長崎には寺町がある。丸いこんもりした山を取り囲んで寺が犇めいている。ずらりとずらりと列んでいる。各宗派の寺寺が。石畳が小径を造って続いている。そこを先週訪ねてみた。この歌の歌碑が黄檗宗興福寺の境内に建っている。中国から隠元禅師が招聘されてここの住持になられた。隠元豆を弘めたその隠元さんである。ご本尊は釈迦牟尼如来。胎内から五臓六腑が発見されたことで知られている。長崎市内には唐寺が他に崇福寺、福済寺、聖福寺などがある。明の時代に中国の商人たちがこの地に棲み着いた。そのころはキリシタン禁止令の真っ只中だったので、この嫌疑を免れるためにも仏教寺院が必要だったようだ。仏教寺院内には海の航海安全を守ってくれるとされる「ま(女偏に馬)祖堂」があるのが珍しい。茂吉は長崎の大学医学部で教鞭を執っていたので、長崎の町は馴染みが深いだろう。唐寺は山地にあるので比較的静かなところだ。ここに白い色の百日紅の花が咲いていた、それをまず一番に思い出したというのであるから、これは長崎を去った後の作品だろう。結句だけが11字になっている。ここ興福寺にはご飯の合図として打ち鳴らした大きな魚板が掛かっていた。魚は2尾。オスメスでケツギョらしい。