時空中声 即説是語 釈迦牟尼仏 名毘盧遮那 遍一切処 其仏住処 名常寂光
妙法蓮華経「仏説観普賢菩薩行法経」より
その時に空中に声あって即ち是の語を説く。「釈迦牟尼仏は毘盧遮那(びるしゃな)遍一切処(へんいっさいじょ)と名づけられたり。其の仏の住みたまふ処は常寂光(土)と名づけられたり」と。
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毘盧遮那:梵語のバイローチャナの音訳語。意味の上からは「光明遍照」とか「遍一切処」とかに訳されています。光明返照(仏)は光明もて遍(あまね)く照らす仏。遍一切処(仏)は一切処に遍き仏、どんなところにもいてくださっている仏さまです。ですから法身仏です。永遠の仏陀です。永遠不変に宇宙中を照らしておられる仏、あるいは宇宙そのものの仏ということでしょうか。
常寂光土:毘盧遮那仏のおられる世界、仏土、仏国土、法界を指しています。「寂」は「不動」「不変」。常寂光土は、常に揺るぎのない光明に満ちている仏の国です。
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ここもその常寂光土です。常寂光土に内包されているところです。嬉しいですね。光明遍照ですから、ここにもその光明が満ち満ちています。嬉しいですね。ここにも毘盧遮那仏が遍満しておられます。別世界におられるのではなくいっしょにいてくださっているのです。嬉しいですね。生きているときにもいっしょであり、肉体を閉じて死んで行くときにもごいっしょされています。嬉しいですね。過去から現在から未来までは含まれています。釈迦牟尼仏はだから、久遠実成(くおんじつじょう)の法身仏と呼ばれています。
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実は嬉しい嬉しいで過ごしていいところなのに、この老爺は嬉しがっていません。でもそれでいいのです。ほんとうは嬉しい嬉しいで過ごしていいのだということが分かっていればそれでいいのです。これだけ長くこの世を生きていながらまだ嬉しがっていません。嬉しがるところに到達していません。それでときどきこうして法華経を読経してみるのです。そしてやっとしばらく嬉しがって過ごすときを得ています。