<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

おもひおくことはない 山頭火を読む

2016年11月17日 19時02分25秒 | Weblog

おもひおくことはない ゆふべの芋の葉がひらひら     種田山頭火

後生の一大事を思っているのであるが、もう思ってしまったので落ち着いた。この先思いおくことはない、と言っているようでもあるが、「おもい置くことはほんとうにないのか」と自らへ疑問を呈しているようでもある。執着はなかなかに切り離せない。惑いに惑う。切り離したと思っているといつのまにかまたべったりとへばりついている。夕べの涼しい風が吹いて里芋の葉はひらひらしている。まるで執着がない。どうでもいいことをどうでもいいことにしていられる芋の葉の前で、山頭火が乱れている。文学などと言うものはみなこころの乱れの表現である。乱れていなければ何も筆を起こして語ることはないだろう。後生の一大事とは、我が死の一大事である。死んでしまうまではこれが重たい。

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いつしかも月の光は 茂吉の歌を読む

2016年11月17日 18時35分22秒 | Weblog

いつしかも月の光はさし居りてこの谷まよりたつ雲もなし      斎藤茂吉

昭和3年の作。この歌の歌碑が山形県鶴岡市にある湯殿山に建っている。この地を訪れて詠んだのだろうか。

湯殿山は月山の西に連なる山。月山、羽黒山とともに出羽三山となる。山の高さは1500m。もともとは火のやまである。火口底では炭酸鉄泉が湧き出ている。酸化鉄が沈澱して出来た岩の塊を、谷を渡りまた谷を渡りして山を訪れた人々は霊岩として崇めている。

叙景歌。叙景歌なのに叙情が溢れて来る。ここ湯殿山が霊山だからだろうか。まだ日暮れには間があるというのにいつのまにか背後から月が昇って来て光が谷間に射し込んでいる。緑色の夏の山、打ち続く出羽三山の峯に谷はひっそり沈んでいる。谷からは雲も立たない。雲すらも立たせないほどに威厳を放つ月光があたりを圧倒して、一面の静寂が白い。耳を澄ますとまだ蜩(ひぐらし)が鳴いているのが聞こえる。

茂吉は画家である。ことばを絵の具にして絵が描けるのである。しかも描いた絵には奥行きがあるではないか。その奥行きの広いこと広いこと。

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死んでしまへば 山頭火を読む

2016年11月17日 18時08分51秒 | Weblog

死んでしまへば 雑草雨ふる     山頭火

今日も亦こころ懐かしい人種田山頭火と旅寝することにする。

これは昭和10年(1935年)ごろの作。彼はこの年53歳か。この後5年して山河を歩く旅も、この世の旅も終えている。あちらへこちらへ漂泊の旅を続けながら、ぎりぎりのところの自由律の俳句を詠んだ。

死んでしまえばどうなるか。誰しも気になって仕方がない。死んでしまったら、しかし、どうなったかの結果も知らされることはない。死ねば意識も飛ぶのだから。肉体にしか意識は付随していないのだから、答が得られたとしても、それで安堵するまでには至らない。だからどうなるだろうどうなるだろうの心配事を抱いてそこで精一杯ということか。だったら今生では、さしずめ予想が付く範囲でものごとを考えるしかない。わたしが死んでも死なないでいても不変なことがある。それは行く道には雑草が生い茂り、雑草の上に雨が降っているであろうということだ。

死んでしまわないうちにも 雑草雨ふる     釈 応帰

道の雑草を座布として、横着に酒を喰らったまま、座禅を組んでいる一人の男、種田山頭火に冬の雨が落ちて来る。雨は霰になったようだ。泣くか。泣くものか。

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雨が降り出すのかな

2016年11月17日 16時00分21秒 | Weblog

おやおや、曇って来たぞ。雨が降り出すのかな。なんだかもう夕暮れだ。光が落ちてしまった。

いまは珈琲タイム。甘いパンの間食。昼間、九条葱の土寄せをした。他所さまのに比べると随分生育不良なようだ。育て主の愛情の掛け具合に比例しているのかも知れない。さっき葱用の化学肥料を買って来た。5kgで880円。これから施肥をする。

とうとう玉葱苗も見つけて買って来た。早生と中晩生をそれぞれ50本ずつ。348円x2だった。でも、昨年は全滅した。今年も巧く育てられる自信がない。

大相撲九州場所が今日はもう5日目。テレビ観戦をし始めた。今場所は遠藤関が強い。大関を3日連続で破った。それから大関豪栄道の綱取り場所。順調に勝ち進めている。相撲を見だしたら農作業には出て行けそうもないなあ。

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お腹の中に住んでいるわたしの臓器さん

2016年11月17日 10時35分53秒 | Weblog

詩「お腹の中に住んでいるわたしの臓器さん」

お腹の中に住んでいる大腸さん/あなたのおすがたを見ることはないけれど/ありがとう/あなたはわたしを元気にするために/それだけのために/はたらき通しだった

お腹の中に住んでいる心臓さん/あなたのおすがたを見ることはないけれど/ありがとう/あなたはわたしを元気にするために/それだけのために/働き通しだった

お腹の中に住んでいる肝臓さん/あなたのおすがたを見ることはないけれど/ありがとう/あなたはわたしを元気にするために/それだけのために/働き通しだった

お腹の中に住んでいるこころさん/あなたのおすがたを見ることはないけれど/ありがとう/あなたはわたしを元気にするために/それだけのために/働き通しだった

お腹の中に住んでいる臓器さん/みなさんのすがたを見ることはないけれど/ありがとう/みなさんわたしを元気にするために/それだけのために/働き通しだった

 

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童謡詩「亀の亀次郎」

2016年11月17日 10時20分31秒 | Weblog

童謡詩「亀の亀次郎」

のそのそ/のそのそ/だから亀/のそのそだから/亀でいられる/ちゃっかりしている/それで長生き/亀の亀次郎が空を見上げている/ちゃっかりしている

だらだら/だらだら/だから亀/だらだらだから/亀でいられる/ちゃっかりしている/それで長生き/亀の亀次郎が空を見上げている/ちゃっかりしている

どろどろ/どろどろ/だから亀/どろどろだから/亀でいられる/ちゃっかりしている/それで長生き/亀の亀次郎が空を見上げている/ちゃっかりしている

のんびり/のんびり/だから亀/のんびりだから/亀でいられる/ちゃっかりしている/それで長生き/亀の亀次郎が空を見上げている/ちゃっかりしている

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詩「秘密の部屋」

2016年11月17日 09時48分48秒 | Weblog

詩「秘密の部屋」

わたしはあなたを思っている/でもここは秘密の部屋/部屋は春で満ちる/わたしは足取り軽くなる/なぜ/これは深い謎だけど/謎の中に/わたしはいる/いつまでもいつまでも

わたしはあなたを思っている/でもここは秘密の部屋/部屋は夏で満ちる/わたしに力が込み上がる/なぜ/これは深い謎だけど/謎の中に/わたしいる/いつまでもいつまでも

わたしがあなたを思っている/でもここは秘密の部屋/部屋は秋で満ちる/わたしは憂いに満ちて来る/なぜ/これは深い謎だけど/謎の中に/わたしはいる/いつまでもいつまでも

わたしがあなたを思っている/でもここは秘密の部屋/部屋は冬で満ちる/わたしは寒さをたえしのぶ/なぜ/これは深い謎だけど/謎の中に/わたしはいる/いつまでもいつまでも

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詩「花の色」

2016年11月17日 09時35分34秒 | Weblog

詩「花」

赤い花は/赤い色に/どうやって染まるのかしら/花にもそれは/わからない/赤い花は/春が来ると/いつのまにか赤い花

青い花は/青い色に/どうやって染まるのかしら/花にもそれは/わからない/青い花は/夏が来ると/いつのまにか青い花

黄色い花は/黄色い色に/どうやって染まるのかしら/花にもそれは/わからない/黄色い花は/秋が来ると/いつのまにか黄色い花

白い花は/白い色に/どうやって染まるのかしら/花にもそれは/わからない/白い花は/冬が来ると/いつのまにか白い花

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詩「空とこころは」

2016年11月17日 09時08分03秒 | Weblog

詩「空とこころは」

空が晴れている/すると/こころが晴れている/空とこころは/二枚のページようで/ぴったり一枚/空とこころは/あなたとわたし/ふたりは/限りなく楽しいところにいる

空が澄んでいる/すると/こころが澄んでくる/空とこころは/二枚の葉書のようで/ぴったり一枚/空とこころは/あなたとわたし/ふたりは/限りなく静かなところにいる

空が笑っている/すると/こころが笑っている/空とこころは/二枚の硝子のようで/ぴったり一枚/空とこころは/あなたとわたし/ふたりは/限りなく明るいところにいる

空がささやきだす/すると/こころがささやきだす/空とこころは/二枚の畑のようで/ぴったり一枚/空とこころは/あなたとわたし/ふたりは/限りなくやさしいところにいる

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わたしにも明るい清々しい朝 その4

2016年11月17日 07時49分11秒 | Weblog

父と母にはまたその父と母がいます。そういうふうにいのちの源へ川を遡っていきますと、仏陀に行き着きます。真如界そのものの如来に行き着きます。如来は燦然と光を放っています。それはまさしく最高に値する者の流れの始まりです。それを思えばわたしは矜持を覚えねばならないはずです。わたしは最高の者と最低の者とに引き裂かれてしまいます。

朝からこんなことを考えてしまいました。わたしはいつも矛盾しています。我が胸に仏と鬼を内在させています。仏を表に出していれば自己を讃歎しますが、わたしに鬼を見ているときには忸怩惨憺たるものです。

7時を過ぎました。朝日が東の空を輝かすまでになっています。ベランダに置いた鉢物の小菊が光を受けています。

わたしに明るい清々しい朝が来ています。これをわたしはどう受け取ればいいのでしょう。「明るい清々しい朝のただ中でわたしが生きていること」に歓喜を覚えながら、「明るい清々しい生き方に反している己」であることに懺悔を覚えています。

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