<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

生体の植物的機能を自動的に調節するもの

2017年01月03日 20時29分26秒 | Weblog

自律神経:

意思とは無関係に、血管、心臓、胃腸、子宮、膀胱、内分泌腺、汗腺、唾液腺、膵臓などなどを支配し、生体の植物的機能を自動的に調節する神経。交感神経と副交感神経とがあり、その中枢は脳幹にある。

われわれの意思とは無関係に身体が呼吸をしている。われわれが命令を下さなくとも心臓が動いている。血管の中には血液が流れている。われわれがたとえそれをストップせよと命令してもそれらが活動を停止することはない。

息をしている。自動的に息をしている。心臓が動いている。血液が流れている。

生きよ生きよ生きよ生きよと言っている。あなたが生きられるようにわたしたちが力を合わせてそれが可能になる全ての段取りをお膳立てしますから、どうぞ生きて下さいと言っている。

朝も昼も夜も息が息をしている。寝ているときも起きているときも心臓が心臓を動かしている。わたしが善を為そうと悪を為そうとそれに関わることなく、血液が血液を流している。

生きて下さいの後ろ盾に依拠して、わたしが生きている。

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なぜ体内に酸素を吸い込むのか

2017年01月03日 11時33分59秒 | Weblog

電子辞書を引く。便利だ。知識の乏しいさぶろうはこれに頼る。するとたやすく知識を分けてくれる。有り難い。で、「呼吸」を引く。

呼吸:respiration  ア)生物が外界から酸素を取り入れ、二酸化炭素を外界に放出する現象。

呼吸器:外呼吸を営むのに特に分化した器官。高等動物の肺及び気道。魚類の鰓(えら)、蜘蛛類の書肺、昆虫類の気管。皮膚や腸管でも呼吸は行われるが、普通はこれを含まない。

呼吸筋:呼吸運動を営む筋肉。呼吸の際、胸郭の拡大、収縮を行うもの。内肋間筋・外肋間筋などに横隔膜が加わる。

呼吸中枢:呼吸運動を司る神経中枢。呼吸運動の調整を行う。脊椎動物では延髄にあり、さらに上位の脳の影響も受ける。

息:口や鼻から呼吸する空気。呼気または吸気。特に呼気を指す。

呼気:体外に吐き出す空気。またはその流れ。

吸気:吸いこんだ息。外部の空気を吸いこむこと。特に内燃機関・空気圧縮機などに混合気や空気が吸入されること。またその気体。

さてわれわれ生物は何故体内に酸素を吸いこまねばならないのだろう?

 

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鳥居は鳥が止まる止まり木だったのか

2017年01月03日 10時43分25秒 | Weblog

ほう。そうだったのか。鳥居というのはどうしてそういう名が付いているのかと思っていた。解明した。鳥(鶏)が居着くところだったのか。そういえば神社には鶏が飼ってある。この鶏は神に仕える鶏。鶏は先が見える(とされている)。だから、この先の予見予兆の任に当たった。神社の神主は鶏の鳴き声を尊重した。そういうことだったのか。そういえば、鳥居は止まり木にも見えて来る。しかし、最近は鳥インフルエンザが流行することもあってか、神社の境内に鶏がのんびり遊んでいる風景はとんと見当たらない。ということは? 鶏の予見を取り付けない日本の未来は、さてさて、予断が許さないということでもあるのか。鳥居と言えば、佐賀には肥前鳥居なるものがある。石の組み合わせの妙が光っている。この地方には古来、秀でた石工が数多く輩出したためであるに違いない。

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如来となった方の遺骸は

2017年01月03日 09時08分46秒 | Weblog

これはあくまでさぶろうの思念である。信憑性はない。

「世尊よ、わたくしどもは世尊のご遺骸をどのようにお取り扱いしたらいいでしょうか」世尊に付き従っている弟子の阿難が世尊にお尋ねした。お釈迦様の涅槃が近づいていたのである。お釈迦様はこうお答えになられた。「アーナンダ(阿難)よ、汝ら出家者は如来(お釈迦様のこと)の遺骸を供養することを考えてはならない。汝らはただ出家本来の目的に向かって、専心に勤め励み怠らず精進して過ごすべきである」

「南伝涅槃経」より

如来は真如界より来た者の謂。お釈迦様は已に如来に成られているのだ。己の遺骸に執着する次元にはおられないのである。しかしそれは如来ご自身のこと。如来の死を見詰める者はそうはいかない。まだ如来になっていない者は、遺骸を葬らなければならない。これを供養しなければならない。その行事は誰がするのか。在家の者がこの任に当たるだろう。出家者はあくまで求法のための精進に勤しむべきである。世尊はそうお弟子の一人阿難にお答えになった。出家者が如来の遺骸を供養して何になるのかとも言われた。

如来でない者の葬送は、ではいかにあるべきであろうか。さぶろうは考える。お釈迦様の時代に立ち戻ってみれば答が出て来るようにも思われるが、答は出てこない。死者を葬るとはどんな意義が込められているべきか、それを思念している。

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2017年01月03日 09時00分32秒 | Weblog

わたしは息をしている。すうすうすうすうと息をしている。息は鼻を抜けて気管支を通り肺に行き着く。そこから血流に乗って全身の細胞を力づける。燃焼が起きる。あたためられる。これがわたしの体温を作る。わたしは息をしている。すうすうすうすうと息をしている。朝日が漸く昇って来て障子戸を明るく照らしている。わたしはわたしの息を意識する。そういう時間だ、いまは。静かで穏やかな時間だ。

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低い位置に身を置くと

2017年01月03日 06時34分00秒 | Weblog

おはようございます。それほど冷え込んではいないようです。今日はもう1月3日になっています。昨日2日は昼過ぎから小雨が降り出しましたが、たいした量ではありませんでした。夕方には止みました。それで早速外に出て庭の小径の辺りの草取りをしました。こうしていると落ち着けます。低い位置に身を置くからでしょうか。

今日はお天気がよければ、思い切って太宰府の天満宮へお詣りに行って来ようかと思います。防府の天満宮は石段を高く上って行ったところにありましたが、ここは平地にあります。訪ねて行きやすくなっています。でも、人出が凄いかも知れませんね。門前に梅ヶ枝餅屋さんがたくさん列んでいます。外国人も多いようです。

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