<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

こっくりこっくりお昼寝

2017年01月26日 14時38分01秒 | Weblog

こっくりこっくり。お昼寝。居眠り。炬燵に入った姿勢で。こっくりはいい気持ち。

こっくりこっくり舟を漕ぐ。こっくりこっくり眠り舟。波に揺られていい気持ち。お舟が海に着いたらば、お昼の月の白い月。三羽の鴎が嘗めている。眠りの舟の笹の舟。沖へ流れて行っちゃった、行っちゃった。こっくりこっくり舟の櫓が、それでも音を立てていた、立てていた。

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わたしの前に青空が広がっている

2017年01月26日 11時36分50秒 | Weblog

わたしの前に爽やかな青空が広がっている。広大な青空が広がっている。2017年1月26日、木曜日、午前11時半。青空も青空を眺めているわたしという存在も不可思議体。そんなふうに思える。

わたしは病院に行って診察を受けて帰って来たところ。C型肝炎ウイルスの血液検査結果を聞いてきた。この心配は除かれた。だが肝機能の数値は改善を見ていない。医者はさらに別の検査をしてみると言う。

わたしの外に青空が広がっているのであれば、それはわたしの中にも同じように広がっているはずだ。わたしもまた宇宙の海に浮かぶ小さな小さな泡なのだから。泡をもそっくり爽やかな青空が包んでいるはずだ。宇宙の海を照らしている青空。広大な無限大の青空。

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すべての善意の総合体としてのわたし その3

2017年01月26日 11時35分00秒 | Weblog

3)

どうしてだろうかねえ。どうしてだろうかの質問にも答えられない。背後にどんな意思が働いているんだろうねえ。背後を為しているのは無限大の宇宙。わたしをもっともっとゆたかに満たそうとして膨張する宇宙。そこにわたしが今日を生きている。すべての善意の総合計としてわたしがこの世に存在している。

 

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すべての善意の総合体としてのわたし その2

2017年01月26日 11時33分06秒 | Weblog

2)

それでその中心の当体が我、わたしになっている。わたしがわたし一人でどうにかできることではなかったのが、どうにかなっている。ということはそれだけの力がわたしに向かって加わっていたということだ。わたしを生かし続ける力が、一つの例外もなく、満遍なく届いて来ていたということだ。やっぱりこれはミラクルなんだよねえ。

 

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すべての善意の総合計としてのわたし その1

2017年01月26日 11時11分32秒 | Weblog

1)

一刻を生きていること、生きていられること。これだけでもミラクルだよねえ。それを重ねているんだからねえ。すげえや。何億刻、何兆刻、その何千何万倍刻を生き続けているんだからねえ。やっぱりすげえや。すべての条件がプラスでなければならない。そうでないと生きていない。すべての善意が集中していなければならない。そしてその通りになっている。

 

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自由人になってみる

2017年01月26日 02時57分43秒 | Weblog

真夜中。目が覚めてしまった。柱時計の刻を刻む音がしている。コトコトコトコト。刻めない刻を刻んでいるから、時計は嘘つきである。本来空である。それをいかにも不空であるかのように彩って見せているが、実態があるわけではない。われわれは彩りに踊らされる。現象界はこうして次々に現象を造って見せつけて来る。踊れ踊れさあ踊れと言って来る。ぐっと堪える。ここでぐっと堪える。現象界を去ってみる。瞑想に入る。時間に囚われない者となってみる。自由人になってみる。鼻からスウスウ息を吸って口から長く細く吐き出して、己という内なる声の王となってみる。

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