ミズナラは山毛欅(ブナ)科の植物である。標高700m以上くらいから生えている。でも、比較的自生が少ない。カシワに似た葉を着ける。葉柄(ようへい)が短く枝に直接葉が付いたように見える。コナラの兄弟。青々した団栗が実る。この頃に山へ行ってみたい。歩いてみたい。深々と歩いた錯覚を味わえるかもしれない。ミズナラに会ってみたい。
人間には足がある。左右に二本ある。足には足裏がある。足裏を大地につけて立つことが出来る。大地に立っているとそこで自然に大地の光を吸うので、足裏が光り出す。人間はもともと裸足だ。裸足で歩く。そうすると足裏に春の光の桜の花片がくっついている。花片といっしょになってしばらく光っている。特別なことをしたわけではない。なんにもしていなくてもこうだ。
春は蒲公英の綿毛が大空へ行く。どんどん高く上がる。そこでふわふわする。ふわふわふわふわを続ける。そしていつしか遠いところへ旅をする。楽しい旅が一通り済むと着地する。そしてそこに根付く。そしてそれから青い小さな芽を出す。たんぽぽっていいなあ。たんぽぽの綿毛っていいなあ。自分の軽さを逆手にとって自由自在じゃないか。
朴(ほほ)の木が好きだ。春の山で朴の木が身体を揺すって笑う。するうちにほほほがほどけて「ほ」たちが大空へ飛んで行く。ほほほほ、ほほほほ。くるくる舞う。お日様がこれを吸って笑い出す。大空もそうする。風もそうする。雲もそうする。山もそうする。海もそうする。響いて響いて、春がいっそう豊かに豪勢になる。これが嬉しい。
春の空を大きな鳥が飛んで行く。美しく晴れた春の大空を美しい鳥が大きく飛んで行く。春にはそういう一つの美しい世界が現出している。なんだかそれが嬉しい。今日はこれを嬉しがることにする。
春になると、自然界はじっとしていない。花が咲いて鳥が歌ってはなやかになる。天が動く、地が動く。万象が快へ快へと動き出す。嬉しくって嬉しくってたまらないといった具合に。それで人間界の僕もこれに倣う。いつの間にかこれに倣っている。快へ快へと動き出している。嬉しくって嬉しくってたまらない自然界が、総掛かりで人間界のお膳立てをしていてくれるので、このお膳に着く。箸を上げる。僕の健康的生活ができあがる。そういうストーリーに、僕は今日酔っている。