<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

「常寂光土(じょうじゃっこうど)」という浄土がある

2019年10月05日 09時52分06秒 | Weblog
「常寂光土」という浄土がある。楽土がある。未来も現在もここには引っくるめられている。時間の境界線がない。時間の国境がない。すなわち地続きである。未来も過去も現在も一平面にある。重なり合った点としてある。この寂光土は常である。時間の仕切り線がない。いつからいつまでの制限がない。瞑想すればたちどころにそれが現出する。寂光土は涅槃界である。涅槃寂静界である。争い心がない。争いがない。互いが泰然自若としていることができる。


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死んでからでは遅すぎるか

2019年10月05日 09時44分51秒 | Weblog
いや、死んでからでは遅すぎるという人もある。気が急(せ)く人もいる。生きている内にこの世で、その清浄国土、楽土を建設して、仏陀として暮らしてみたいという人もいる。未来成仏ではなくて、即身成仏を希求する人たちだ。人である内に仏陀となっておきたいと彼らは主張する。たしかに釈迦牟尼世尊は生きている内に悟りを開かれたのだから。できない話ではないかもしれない。それだけの神通力に恵まれている人たちなら、可能かも知れない。


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行くべき浄土があるというのは嬉しいことだ

2019年10月05日 09時40分39秒 | Weblog
死んでから行くべきところ、そこが清浄国土の未来型仏国土。次に行くべきところがあるというのは嬉しいことである。それを待っていることができる。そこに迎えられる。
「人間修行ができましたね。ご苦労でしたね」
と仏陀がわたしを抱き取って苦労をねぎらわれる。わたしは感極まって涙涙涙になる。そういう想定ができるとなれば、死んで死にきれる。この世の苦しみが堪忍できる。


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清浄仏国土は、死んでから行くべきところか

2019年10月05日 09時37分59秒 | Weblog
そこは死んでから行くべきところか。この世の苦行の修行が完遂出来た後に赴くところか。未来浄土か。多分そうだと思う。苦を知らないでおいて、いきなり楽を味わってもそれは、楽とは受け取られないのではないか。苦を通り抜けた後でないと、楽が楽として受け取られないのではないか。余程の閃きの有る人でない限り。難しいのではないか。「これが楽ですよ」と提示されてもそれがそう見えないのではないか。


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清浄仏国土は、死んでから行くべきところか

2019年10月05日 09時37分59秒 | Weblog
そこは死んでから行くべきところか。この世の苦行の修行が完遂出来た後に赴くところか。未来浄土か。多分そうだと思う。苦を知らないでおいて、いきなり楽を味わってもそれは、楽とは受け取られないのではないか。苦を通り抜けた後でないと、楽が楽として受け取られないのではないか。余程の閃きの有る人でない限り。難しいのではないか。「これが楽ですよ」と提示されてもそれがそう見えないのではないか。


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「清浄国土」をつづめて「浄土」

2019年10月05日 07時13分03秒 | Weblog
「浄土」は「清浄国土」を2字に詰めた言葉。中国の翻訳家である鳩摩羅什三蔵の造語だそうです。どうして清浄なのか。わたしの思うところでは、そこに仏陀がいらっしゃるから。仏陀が、人々を仏陀に成仏させていらっしゃるから。・・・ではないかと思う。

そこには、シャンテイ(仏教の言う平和)がある。心が平和になっている、わたしたちの本質が安んじて生きている。


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火の車作る大工はおらねども

2019年10月05日 07時00分50秒 | Weblog
おはようございます。5時起床しましたが、ふてくされてまたもう一度寝てしまいました。どうしてふてくされたか。そりゃあもう、わたしのレベルが低いからです。低いのにも拘わらず、高いと思いなして、すぐに、ふくれっ面をするからです。不評価を怒るからです。今日はS新聞読者文芸詩部門の月一回の発表の日でした。落選していました。一月前に、久しぶりにいい作品が書き上がったぞと自負して投稿していたのです。でも、思い込みに過ぎなかったのです。落胆しました。錐揉み状態で墜落をしていきました。わはは、です。過ぎてみればばかばかしいですね。

火の車作る大工はおらねども己が作りて己が乗り行く     

この句は、わたしを可愛がってくれたおばあちゃんの口癖でした。一眠りをして火の車を下車しました。


気温は22度、湿度70%。ちょっと寒いくらいです。雨は降っていませんが、土が濡れています。夜中に降ったのでしょうか。りりりりりりりりと草虫たちが鳴いています。

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