<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

人は、どれだけでも小さくなれるし、大きくもなれる。束縛を受けない。

2021年12月30日 15時58分36秒 | Weblog

わたしの身長体重は計測器で計測できるけれども、わたしのこころはそうはいかない。計測器に計測されることができない。

 

形がないからだ。形を持たないからだ。形に依拠しないという選択をしているからだ。

 

わたしはどれだけでも小さくなれるし、大きくもなれる。自由でありえている。

 

小さくしようと考えるなら小さくなれる。大きくしようと考えるなら大きくもなれる。好きなように、形を操ることができるからだ。

 

で、ときどきわたしはとてつもなく微量になる。微細になる。あるときにはそこに飽きて、爆発する。爆発して膨張する。そして膨大になる。甚大になる。

 

法華経に登場される菩薩様方がこの芸が得意芸だ。収縮と爆発膨張を自在になさる。こだわりがないからだ。何ものにも束縛されないからだ。

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銀河系宇宙の数は数兆個。わたしが銀河の大きさに膨れ上がる。

2021年12月30日 15時34分51秒 | Weblog

「あってもなくても、どうでもいい」くらいな感覚でこれまで過ごしてきたけど、改めて示唆されると、やはり驚いてしまう。

 

「あるものがあってくれたので、嬉しい」ようにも思う。心強くも思う。

 

「銀河宇宙の数がわれわれの太陽系銀河宇宙の他に、数兆個もある」という新説を耳にした。

 

われわれの宇宙は随分と広いらしい。意図的に「われわれの」という修飾語句を冠したけれど、間違ってはいまい。

 

「わたし」とは無関係のように見えていても、無関係ではないように思えてくる。

 

「わたしのため」あるいは「われわれのために」、そこにそうして「ある」のかもしれないからだ。

 

地球は太陽を回る惑星である。他にも数多く太陽系を回る星々がある。

 

しかし、その太陽系の星々は、数多くの銀河宇宙の中の1つに過ぎない。その銀河系宇宙がまた何兆個もあるというのが今回の新説だ。

 

兆個の銀河系宇宙が広がっているのである。なんのために? われわれのために。なんのために? わたしのために。

 

此の爺さんは、どうも、そういう受け取りをしてはしゃぎたがる。いやいや、そういう受け取りをすると、途端に力強くなれそうである。

 

わたしが1だとおもっていたのに、10だったという驚き。わたしが10だったと思い込んでいたのに、100だった。こうして連続してわたしはマーベラスになる。1だと思っていたわたしが実は1兆の数のスケールを持つ存在だった、という新発見。

 

わたしのスケールが膨れ上がるのだ、こうして次々と。次々と次々と。そうしてとうとうわたしのスピリット(精神? 魂? 意識?)が、銀河宇宙と同じ大きさになるのだ。1対1になるのだ。

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ともかくも一年を過ごせた。

2021年12月30日 10時55分12秒 | Weblog

今日は12月30日。2021年も残すところ今日明日の2日間となった。

 

ともかくも、生き長らえることができた。一年を過ごせた。多くの多くの目に見えない愛情が、我が身に降り注いでくれたお陰である。

 

 

今日は早朝、電気餅搗き機で餅を搗いた。合計3回。一臼目は鏡餅。2臼目は小餅と餡餅。3臼目は蓬餅と餡餅。

 

3臼とも、おこわご飯で俵型のおにぎりを作ってもらった。ごま塩をまぶして。これが大好きで何個も食べた。

 

孫たちがきゃあきゃあとはしゃぎながら、小餅を丸めて加勢してくれた。電気餅搗き機といえど出来上がるのが珍しいのだろう。

 

 

その後、お爺さんは外に出た。丸い椅子に座って、エンドウ豆畑の草取りをした。短い時間だったけど。

 

土をいじっていると、無念無想に近くなれる。己が身の苦痛もこころの憂鬱もしばらくは感じなくなる。「あっても、ない」になる。

 

寒い風が吹いて来て、被っている帽子があやうく吹き飛ばされそうだった。首にタオルを巻いて寒さを防いだ。

 

 

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寒い中、水菜の移植作業をした。

2021年12月29日 16時34分31秒 | Weblog

午後3時から外に出た。4時半に家の中に入った。その間は、畑にいた。草取りをしたあとに、水菜の苗を移植した。水菜はプランターに種を蒔いておいたのが、発芽して、移植できるまでに成長していた。20株くらいを移植した。水菜はへなちょこではないから、すぐにそこに根を張るだろう。

 

さて問題は、その後。成長したらかなりの大きさになる。20株の水菜は食べきれるものではない。人様にもらって頂くしかない。欲しい方があるかどうかだ。

 

4時半には小雨が落ちて来た。ジャンパーが雨に濡れだした。そこで作業は終わりにした。苗が僅かに残ってしまった。寒い風の吹く中で、よくぞ寒さに耐えられたものだ。畑の土と遊んでもらった。

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此のからくりを知ると嬉しくなれる。

2021年12月29日 10時55分11秒 | Weblog

嬉しいよなあ。いま、僕は生きているんだから。後先じゃなくて、生きているのは今現在。その今現在を生きているのだから。

 

それがどのくらい難しいことか。すべての条件が満たされてはじめて今になっている。今現在になっている。そこに僕がいる。いることができる。

 

僕がそうすることができるように、すべて調えられたのである。僕の力に依っているのではない。それができるように、仕向けられている。此のからくりを知ると、嬉しいよなあ、だから。

 

 

 

 

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雨降り。孫たちは退屈。

2021年12月29日 10時48分37秒 | Weblog

あいにくの雨。本降りではないが、外へは出られない。じっとしていられない年頃の孫たちは、退屈している。どこかへ連れ出してあげたくもなる。

 

昨日は雑巾で車の掃除をしてくれた。水拭き。指がかじかんだだろう。お陰でぴかぴかになった。

 

連れ出すとしても、市立図書館くらいしかないかな。

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田舎のおっさんの防寒術。

2021年12月28日 17時31分50秒 | Weblog

タオルをマフラーにして首に巻いています。こうするとあたたかいです。

 

外に出ていくときには、タオルマフラーが見えないようにしています。

 

ジャンパーの内側に押し入れます。ひとりぬくぬく感を味わいます。

 

これは田舎のおっさん流の防寒術です。

 

おっさんにしているのが好きなのです。

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わたしの内部で、宇宙の愛が活動をしています。

2021年12月28日 17時05分53秒 | Weblog

肉体は宇宙である。規模は小さいけれども、愛の宇宙である。わたしの肉体は、壮大な宇宙の、具体的な愛の活動実践の場である。

 

それを感じることができるように、わたしの内に、間近に、宇宙が与えられているのである。

 

わたしの内部に於いて、宇宙の愛が活動をしています。

 

宇宙は、「あなたは愛されるにふさわしい人です」「あなたをわたしにして愛します」を繰り返し繰り返し囁きかけて来ます。

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外なるuniverse様と相似合同した、完全無欠な肉体という内なるuniverse様。

2021年12月28日 16時31分56秒 | Weblog

わたしを包む外なるuniverse様。完全無欠なuniverse様。外なるuniverse様と合同相似した肉体という内なるuniverse様。有り難うございました。

健康で健全で申し分のない肉体という内なるuniverse様。完全無欠な肉体という内なるuniverse様。完全無欠な調和と秩序を保った内なるuniverse様。

今日一日わたしは、あなた様のパワフルな無限宇宙機関(=器官)のハタラキを洩らすことなくレシーブしておりました。その結果わたしは、今日の一日を健康で健全で申し分なく過ごすことができました。感謝します。

わたしは導かれて過ごすことができました。わたしは守られておりました。わたしを大いなる慈愛のエネルギーが満たしておりました。一日、それを感じておりました。わたしは無限救済活動のuniverse様と同様、如実に申し分がない存在として、ここにありました。

一日の終わりに感謝の祈りを捧げます。お爺さまは祈りを捧げた後で目を瞑りました。目を瞑ったお爺さまに、きらきらと星の光が明るく輝いて降り注ぎました。

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今日を生きている歓喜、それを覚えていたい。

2021年12月28日 11時41分56秒 | Weblog

死んでしまえば生きていないのである。

 

その逆。生きているときには死んでいない。

 

死なないでいるときは、だから、生きている歓喜を覚えて、暮らしている方がいい。

 

歓喜を覚えている今現在を大切にして尊重したい。

 

すーすーはーはー息をする。それをおいしいと思う。

 

目に見えている風景を美しいと思う。小高い祇園山の青青とした木々を美しく眺める。

 

 

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