外気温5・5℃。寒さが緩んでいる。外に出た。玄関の外に敷いている玄関マットの掃除をした。積もっていた土芥を取り去った。これで新しい年が迎えられるだろう。お爺さんの判断たるや簡単簡潔である。
外気温5・5℃。寒さが緩んでいる。外に出た。玄関の外に敷いている玄関マットの掃除をした。積もっていた土芥を取り去った。これで新しい年が迎えられるだろう。お爺さんの判断たるや簡単簡潔である。
いかにもいかにも雪の降り出しそうな空模様である。しかし、まだ降り出してはいない。無風。寒い。じっとしている。凍てつく。
12月28日。火曜日。年の瀬。今日まで入れてあと4日でお正月になる。今日を良い日にしよう。生かされている今日を良い日にしよう。
明るい考え方をして過ごそう。暗くならないようにしよう。どうすればいいか。まずは頬の筋肉を使って、ニコリとしよう。
午後3時から5時まで裏の畑に出て、寒風吹きすさぶ中で、草取りの作業をしていた。空豆とエンドウ豆の畝の草を。抜いた草は長方形の籠に入れて、捨て場まで運んだ。何度も何度も。草が、寒い冬場なのに、密生して生えて、繁茂していた。雑草は逞しい。
好きな土弄りである。寒さを寒く感じないでいた。
5時のサイレンが鳴って作業を止めた。いまは炬燵の中に入って、暖を取っている。音楽を聴いて寛いでいる。
N新聞読者文芸の年間大賞が発表されていた。詩部門にも短歌部門にも名前は見いだされなかった。俳句部門まで進んだら、あった。そこに村里に暮らす小さなお爺さんの名前があった。おしまいのあたりにちょこんと。作品と名前が。
なにしろ年間大賞。価値がある。今夜は祝い酒ができる。
雪が積もって、孫と雪合戦ができるのを期待していたが、一夜明けて、粉雪も止んでいる。気温は0℃前後。寒い。風はない。孫が昨日から来ている。なかなか会えないで来た。
昨日は粉雪舞い散る中、北の畑に行って里芋を一列掘った。孫が3人で掘った。収穫量が多くてびっくりした。掘った子芋は一輪車に載せて戻って来た。一輪車を押すのは中学生の孫。らくちん。
今日は何をしよう。掘って来た大根、まるまる肥った大根の皮剥きをして、包丁で薄く切って、かんころ作りをしている。小学生にも手伝ってもらう。包丁裁きも練習だ。
粉雪が舞っている。横殴りに。12月26日。日曜日。村里は年末であっても静かだ。
畑の大根の葉っぱが寒そうにしている。霜の被害なのだろうか、萎れて、みなみなうつむき加減だ。
お爺さんはやっと今し方外に出た。もうお昼時だ。
庭先を一周した。両手をポッケに収めて、おお寒おお寒を言いながら。
京都の町を走り抜ける全国高校女子駅伝大会を見た。わが郷土のチームは善戦して22位だった。
肩脱ぎして走る女子高校生ランナーは、きっと寒いはずなのに、寒そうな顔をして走っている選手は見かけなかった。
闘志をみなぎらせているのだろう。若いエネルギーがあふれていた。
午後からは男子だ。我等が鳥栖工業高校チームは10位内に入る可能性が大きい。身を乗り出して応援をしよう。
寒風吹きすさぶ。それでも畑に出た。ほうれん草の畑の草取りをした。やったところは、きれいになった。またすぐに生えて来るが。
ジャンパーの上にジャンパーを重ねている。首にはタオルを巻き付けている。頭は冬の厚手の帽子。それでも寒い。鼻水が垂れる。
耐えきれなくなって戻って来た。もうすぐお昼だ。日射しはある。明るい。巻かない白菜の黄緑色の葉っぱが、日に透けて見える。
その男は、一生、低い位置に位置づけられて過ごした。無力だったからだ。
畢竟、高い位置に聳えている人たちの威張り声を聞くばかりだった。
無力を恥じたが、恥じても無力が覆ることはなかった。
男は怠け者であるので、高い位置に這い上がる努力もなさなかった。勉強も嫌いだった。挑戦する意欲も萎えていた。
だから当然と言えば当然だったのだ。自己否定が自己肯定を圧倒した。重たい否定に、次々蹂躙されて、呻いた。夢の中でも呻いた。
そういう日陰にいた。日は誰にでも平等に明るく当たっているのに、己を暗くして、日陰を覚えて、寒がった。
無力の男の逃げ場は仏陀だった。仏陀に抱き取ってもらわねばならなかった。そうでなければ心身があたたまらなかった。法華経が男の電気行火になった。
苦しいことが終わる。悲しいことも終わる。辛いことも終わる。やがて肉体が終焉を迎えると、そうなる。ほっとするだろう、きっと。
僕は無能力であった。弱虫だった。戦いうるだけの武器をも所持していなかった。
それで、おろおろしながら逃げるしかなかった。みっともなかった。
能力のある人たちの間を、吐息をつきながら、逃げ惑ってきた。
捕まることもあった。吊し上げられる羽目にもなった。勝ち目のない男は、詫びて詫びてばかりだった。
もうそれも終わりになる。詫びないで済むようになる。ほっとするだろう、きっと。死ぬ苦しみが残っているだろうが。