これは御蔵島で知ったばかりの本です。
昭和43年刊行の古い本ですが図書館の書庫にありました。
昭和39年、米軍水戸射撃場を御蔵島に移す。島民200名を立ち退きか?といった寝耳に水、島をひっくり返すほど大きなニュースがあった。
当然ながら島民全員が団結し、猛反対運動を起こした当時の様子を描写されています。
昼休み、少ししか読んでいないが、横田米軍施設を拡張し、御蔵島に支所を作るような話もあったようだ。
反対がなければ、硫黄島みたいに一般人の上陸もできなくなるし、巨樹や豊富な自然が壊されたり、イルカも寄せつけなくなる。
先人の猛反対があったからこそ、今の御蔵島があるんだな、と思いました。
昨夜、御蔵島から戻ってきました。わずか3泊4日(うち1泊は船内泊)でしたが、とても楽しめました。
最初の島旅は中学のときで東京から1番近い大島。
飛び石つたいにこの先に島が続き、最南端は青ヶ島、もっと奥にあるのは小笠原。
全部制覇したいな、と思うようになったのはその頃だったと思います。
東京に住むようになって、大島から少しずつ南下すればよかったのに、いきなり小笠原。
青ヶ島、八丈島・・・と南の島から北上するような形で島巡りをしていました。
八丈島の次は御蔵島のはず、当時(1998年)の交通事情は・・・
10年前の御蔵島は1本の桟橋を絶海に突き出ただけなので、大型船の接岸が非常に難しく、東京からの直行便はなんと週1便のみ。(東京発、毎週月曜日、御蔵島発毎週火曜日)
三宅島で連絡船の「えびね丸」に乗り継げば、毎日御蔵島に行けるはずですが、時刻表を見落としたのか、御蔵島は難しいなあ・・・とあきらめたことはありました。
2000(平成12)年、多少の波が出ても接岸ができるように、桟橋の右側に大きな防波堤で囲いを入れた漁港ができたため、大型旅船の接岸を週4回、01年に5回、02年に6回、毎日就航になったのは2004(平成16年)から。
海況が悪ければ、接岸せずそのまま八丈島に流されてしまいます。
御蔵島までのチケットで八丈島に降りられますが、折り返しの便に賭けるとしたら、下船せず、船内に留まってもよいそうです。
八丈島で折り返し、御蔵島に着くのは13時10分。
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御蔵島の位置は上の地図のとおりになります。
マウスをいじると、尺度の変更ができるので、東京からどのくらい離れているのかわかると思います。(東京から南へ200キロ)
・・・・御蔵島の歴史・・・・
「御蔵島」(みくらしま)の由来について、神の蔵の意とするものと、暗い海の「うみくら」がなまって「みくら」になったという説があります。
おとなりの三宅島は2000年に噴火、青ヶ島は江戸時代の1785年に丸山が噴火したのですが、御蔵島は噴火の記録は全くなく、5000年から1万年前にできた島ではないかと思われる。
1995(平成7)年のガイドブックに載っている御蔵島の情報は、三宝神社と稲根神社、御山しかなく、民宿も2軒のみ。
掲載スペースは1ページだけの寂しい情報でした。
ところが最近、巨樹の森、ドルフィンウォッチなどで脚光を浴び、観光資源も備えるようになり、ガイドブックも数ページわたって紹介されています。
多くの観光客を受け入れるように、増築や新規開業の宿も見かけるようになりました。
でも、部屋の数に限りがあり、まず、宿を確保してから船のチケットを予約するのが御蔵島のルール。 朝5時。船のエンジンは静かのようなので、ここは三宅島だな・・・と思ってもそのまま二度寝。
二度寝してしまうと、御蔵島に降りられず、八丈島に流されるのでは!と思い、デッキに出てみると、素敵な朝焼けを拝められました。
船の進行方向を見ると、御蔵島。
ちょうどお椀を伏せたかような、島になっています。
4時頃明るくなる夏場だと、緑色に映えるだろうと思いますが、9月だと幻想的な島影。 ベタ凪だったので、予定より10分早い5時50分頃、入港。
船の中は東京から持ってきた空気、タラップに降りると、一瞬潮の香りがしました。
御蔵島に滞在するとその土地の空気に慣れてしまい、潮の香りがしなくなるのです。
うわぁー、すごいな。
あの急な坂道の上に集落。 予約しておいた宿のクルマで宿に向かいました。
朝早い到着のため、休憩室でしばしの休憩です。
チェックアウトは8時、チェックインは10時。
その2時間だけ、部屋のお掃除をしたり、シーツや布団を取り替えたり、8時から出るドルフィンウォッチの準備などでとても忙しそうに動き回っていました。
船の中ではあまり眠れなかったこともあり、時間になるまで横になって眠ってしまいました。