往年のブルートレインを知る者にとっては懐かしい。山口県の田舎に住んでいたころ、上京するのに決まってブルートレイン。
当時は「あさかぜ」(始発は博多・下関)「みずほ」(始発熊本)「富士」(始発大分)「はやぶさ」(始発西鹿児島)「さくら」(始発長崎)、全列車下関駅停車。
当時の新幹線0系「ひかり」号は、小倉から東京までおよそ6時間。
朝9時発に乗っても、東京に着くのは15時頃。まるまる1日つぶすので、寝ている間に東京に着き、朝から行動できるブルートレインは重宝していました。
「あさかぜ1号」や「あさかぜ2号」とか、夕方になれば下関駅に停車するブルートレインたくさんあったのに、今はもう全滅。1本もありません。
広島あたりに就寝し、翌朝目覚めると、静岡県内を走行中。新幹線だと富士山があっという間に見えなくなるのに、ブルートレインは富士山が見えなくなるまで何時間もかけて走行。子どものころの思い出です。
両親もブルートレインでも苦にしなかったのに、数年前サンライズ出雲号で帰省したとき、「寝台特急はかなり揺れるから安眠できなかった、勘弁して欲しい」と父が。
私だったら、ブルートレインは「ゆりかご」のようなもの、いったん寝てしまえば熟睡するほうです。しかし、荒っぽい運転士は発車するたびにガクッと振動が来るので、その都度目覚めてしまいます。そっとゆっくりハンドルを引き、ガクッと振動が出ないようなテクニックが欲しい。
國鐵車両にはかならずついていた、「センヌキ」。
JR車両は付いていません。
山陰本線で活躍していた、昭和30年代に造られたキハ20も「センヌキ」付き。
昭和30~40年代は、今みたいに缶があまりなく、瓶が主役だったかな。
これでも「特急」の仲間入り。スーパー北斗は、電気ではなくディーゼルだというのに、130km/hの超高速運転。
FE81は80~100km/hかな。
あけぼのを車両基地まで回送するDE10機関車。
JR東日本の制服を着ていたので、機関士でもJR東日本の社員。
機関車の運転士はほとんどJR貨物だというのに、自社で済ませるものは自社で。右はJR北海道のスーパー白鳥。運転士さんや車掌さんはJR東日本の見慣れた制服なので、蟹田で引継ぎをしているようです。
青森駅舎がすっかり新しく変わってしまいました。
奥に見える橋は「青森ベイブリッジ」です。