あけぼの

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酷暑、残暑を愚痴らぬ傘寿 

2012-08-27 10:54:40 | まち歩き

Aug12_001 Aug12_003 傘寿ともなれば過去と邂逅したくなるものか。平々凡々の市井の筆者だが、現在、これといった病気もなく不自由なく暮らせる「幸せ」を感謝せねばならないと自覚している。毎日「暑い」などと愚痴っては罰が当たる。70年前の子どもの頃に返ったつもりでランニングに短パン、自転車でほぼ毎日2回、国立、府中間を往復する。距離にして12kmだ。絵を描いたりしてリラックスする。

子どもの頃はヤスと水鏡を持って裏のねじ川に魚獲りに行ったり、竿の端に蜘蛛の「イギ」(糸)を張って蝉捕りをしたりが夏休みの日課だった。獲った小魚はおやじが丸焼きにして食べていた。今から思えば唯一のカルシューム源だったのだろう。真っ赤になるほど足を「ぶと」(ぶよ)に刺されたが平気だった。それだけ夢中になって捕り物に集中したのだろう。お盆になると「生き物を獲ってはいかん!」とおやじに止められた。お盆は仏さまが来ている日で悲しまれるからだと。お盆も過ぎ20日ともなると朝夕の涼風と共に蝉が「ミーン・ミ-ン」から「ツクツク・ボ~シ」の声に代わり、秋が偲び寄って来て日中以外は涼味を覚えた。油蝉からみんみん蝉、そしてツクツク法師への移行で季節は忘れずにやって来る。夜から朝にかけて、秋の虫どもの声も聞こえるようになる。

地球温暖化と言っても真夏の気温は変わらないと思う。より暑く感ずるのは加齢とともに高温環境に耐える体力と精神力が減って来ているからではなかろうか。また情報過多で「暑い、暑い」と囃したてられるせいもあるだろう。昭和20815日の終戦記念日、あの日は暑かった。中学2年生だった。それから67回過ごした盛夏。酷暑、残暑、涼夏等、その時々の居住環境や体調、精神状態で暑さの感じ方も違っていたようだ。多忙で目いっぱい行動していた時期には「夏は暑いもの」と割り切っていた。それ以上に考えることがあったのだろうか、暑いと思った記憶が残っていない。「心頭滅却すれば火もまた涼し」だ。自分を取り巻く環境が暑さの所以ではなかろうか。(自悠人)