あけぼの

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「叩けよ、さらば開かれん」の好例、懐かしのXU再訪

2015-06-28 11:25:32 | 旅行記、多文化教育、国際

  1.通学通勤によく歩いた一角 2.ここで教えた、懐かしのSchott Hall 先ごろ懐かしのXU(Xavier University)を訪問した。短期留学中の裕希君の写真を母上に送ってあげる目的だったが、都心からだったので迷い、道を尋ねようとミニマートへ。買い物の列に居た黒人女性が、「あら、XUなら寄り道だけど誘導してあげる。私の車の後ろについておいで!」と。そこからMontgomery-Dana、そしてVictory ParkwayのXUへ。正門前でこの女性はニコニコと「私が卒業した大学なの!あなた、お嬢さんでもここで勉強しているの?」「いえ、24年前日本語コースを開き、教えたんです!」

 筆者にとっては特に懐かしいキャンパス、ここで修士号を取得、日本語・日本文化を教えたのだが、「教えた」のみならず、筆者がコースを開かせ、教え始めた大学だった。拙著「突然炎のごとく」に詳細を記しているが、中西部の地域大学トップテンによく選ばれる大学なのに24年前には日本語講座が無かった。筆者が修士課程を始めた1991年当時、アメリカは日本語ブームだった。「創立170年近い(当時)この由緒ある大学に日本語コースが無いなんて」と筆者は勇気を出して責任者たち-現代言語学科の学科長や人文科学の学部長-に会い、自著をプレゼントし、「自分はこの大学の研究生、自分はいかに有能な教師か、自分は最高の教材を準備できる」等、とうとうと-実はもたもた-開講を訴えた。予想外に早く学科長から電話が…「来年度から日本語コースを開講したいが講師のポジションに興味があれば会いたい」と。電話後部屋中をダンスし回ったことを覚えている。ミニクラスという面接-現代言語学科のこれはという教授が全部模擬学生として席に着き筆者を質問攻めに-大学講師としての適性試験だった。勿論合格し無事教官になったが、開講のきっかけは間違いなく筆者、アメリカに来て1年余りでのこの日本語・日本文化コース開講は「叩けよ、さらば開かれん」の好例となった。フランシスコ・ザビエルの名前を頂く古い大学で、やはり古い歴史を持つ日本の文化理解を促進するために布陣を敷く名乗りを上げたのだ、と当時の熱情を記録しているが、今回、夏休みゆえか懐かしのSchott Hallの門は開かなかった。(彩の渦輪)

  3.XUの正門前にて自悠人と裕希君。4.フランシスコ・ザヴィエルさん